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心行寺。広島県広島市中区にある浄土宗寺院

心行寺の概要

浄土宗寺院の心行寺は、特留山白翁院と号します。心行寺は、信譽禿翁が開基となり寶永年間(1704-1711)に創建、その法弟で寂譽(周防氏)が開山したといいます。

心行寺
心行寺の概要
山号 特留山
院号 白翁院
寺号 心行寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 広島市中区白島九軒町5−10
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



心行寺の縁起

心行寺は、三河松平家出身の信譽禿翁が、浅野藩主の入国に従い当地へ入り、元和8年(1622)に創建、その法弟専譽廓翁が開山したといいます。信譽は諸国の住持を務め、禿翁寺をはじめ各地に浄土宗寺院を開いた名僧です。

「廣島市史」による心行寺の縁起

心行寺は特留山・白翁院と號す、白島九軒町に在り、宗派・本寺とも妙慶院に同じ(浄土宗・京都智恩院の末寺)、本尊は阿彌陀如来(聖徳太子の御作といふ)なり、元和八年僧信譽の開基にして、其法弟専譽を開山となす、信譽の傳を左に抽録す、
信譽(字は惠傳一名禿翁)三州松平家の出生、十一歳大樹寺成譽上人に從ふ、十五歳剃髪、武州川越蓮馨寺國譽上人の許に觀學修練せしに、師歿するにより、江戸増上寺中興觀智國師に從ひ、諸宗秘蔵を極め、神道をも學び、勢州山田善導寺に住職し、同郡源福寺九譽上人に圓頓戒布薩戒を授す、夫より紀州熊野参籠名神宮郷承徳寺に暫住し、諸國經回、同郡和左山の麓、辰の方に津田某と心一いたし、一宇を造建し、小石を集め、浄土三部經を書し、内陣の地中に埋む、同十九年四月八日より、常行念佛を始め、爰に七年、慶長の初上那賀郡粉川清見寺を中興し、運行寺と改、和州宇知郡瀧崎寺五條驛稱念寺再興し、吉野西方寺當摩護念院にも暫住し、夫元和五年、
太守様御當國へ御引越の節、御供仕、廣島箱島東之筋にて、西は東中之町角迄、北は堤通り迄、地面被下置、元和八年に信楽寺を艸創(世俗に信楽寺と唱申候故、元禄九丙子年學蓮社壽譽本山へ御願申、心行寺と改む)夫より弟子専譽廓翁に譲、寶物等不殘授、亦禿翁寺を開し、石州濱田禿翁寺銀山西福寺を再意營し、雲州松江信楽寺を創し(爰に禅宗常楽寺莫寛和尚と法問答し、莫寛閉口して迨状を上人に渡、今に存在す)同國誓願寺に住し、伯州米蔵信光寺を始め、隠州に遊化して浄土宗三ヶ寺建(一敷信楽寺小路浄土宗中の信光寺)又因州鳥取信楽寺を開、遍歴十二年、四十九歳にして、光恩寺に歸、寛永十二年三月朔日暁に沐浴剃髪、浄衣を着し、縄座に座し玉へば、結縁の道俗集會し、ともに高聲に念佛し、未の下刻西に向ひ入寂、本堂の西にて荼毘す、忽然と紫雲靈香薫す、舎利數百ひろひ、其所に開山堂を建る、七十六歳、
備考。此傳記中、元禄九年心行寺と改むとあれども、元和七年(元禄九年を距ること七十六年以前)六月廿に日の御禮帳に心行寺と記し、又同年九月十七日の書付にも、
紀州より被参候 安龍備中明屋敷へ
一心行寺 東白島 浄土
是の如く見へたれば、安龍備中といふ人住みし明屋敷を賜はりけるものと考へらる、又寛永初年の古圖には(元禄九年を距ること凡六十年以前)信楽寺とあり、古昔の書類は文字にかゝはらず、呼び聲ばかりによるもの多ければ、これも其例にて、いつとなく心行寺となしたるならんか、藝藩通志にも『舊は信楽寺と書す』とのみあり、
寶暦二年九月五世民譽の時、梵鐘を鑄造せしが、今存せず、(「廣島市史」より)


いいお墓

心行寺の周辺図


参考資料

  • 「廣島市史」