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正福寺。兵庫県赤穂市御崎にある曹洞宗寺院

正福寺の概要

曹洞宗寺院の正福寺は、補陀山と号します。正福寺は、花岳寺を開山した秀巌龍田大和尚の隠居寺として、正保3年(1646)加里屋に創建、元禄14年(1701)良雪和尚が良雪庵として当地へ移転、宝永3年(1706)正福寺としたといいます。赤穂浪士大石良雄は当寺三世良雪和尚と囲碁仲間で、「二良の対局」として知られ、浅野内匠頭の殿中刃傷に際して「君辱死臣」の名言を大石良雄に与えた事も著名だと言います。当寺には、大石良雄の暇乞状、又、大高源五の暇乞状を初め、小野寺十内・原惣右衞門・赤埴源蔵ほか数名の義士書状が残されているそうです。明治5年には、思誠小学校が当寺に開校しています。

正福寺
正福寺の概要
山号 補陀山
院号 -
寺号 正福寺
本尊 釈迦如来像
住所 赤穂市御崎478
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



正福寺の縁起

正福寺は、花岳寺を開山した秀巌龍田大和尚の隠居寺として、正保3年(1646)加里屋に創建、元禄14年(1701)良雪和尚が良雪庵として当地へ移転、宝永3年(1706)正福寺としたといいます。赤穂浪士大石良雄は当寺三世良雪和尚と囲碁仲間で、「二良の対局」として知られ、浅野内匠頭の殿中刃傷に際して「君辱死臣」の名言を大石良雄に与えた事も著名だと言います。当寺には、大石良雄の暇乞状、又、大高源五の暇乞状を初め、小野寺十内・原惣右衞門・赤埴源蔵ほか数名の義士書状が残されているそうです。

境内掲示による正福寺の縁起

補陀山正福寺
正福寺は、浅野家の菩提寺である花岳寺の開山秀巌龍田大和尚の隠居寺として、正保三年(一六四六)に建てられた曹洞宗の寺院である。
はじめは、城下の加里屋にあったとされており、後に御崎の現在地に移された。
元禄十四年(一七〇一)三月、浅野内匠頭の殿中刃傷の変が赤穂に伝わった際、当寺三世良雪和尚は大石良雄を檄して「君辱死臣」の名言を与え、元禄の快挙として世に伝わる討ち入りを果たさせた。
また、大石良雄と良雪和尚は共に囲碁を愛され、「二良の対局」の寺として有名である。
寺には、この対局の碁盤や、仇討ち前日にしたためられた大石良雄の暇乞状、又、母への大高源五の暇乞状を初め、小野寺十内・原惣右衞門・赤埴源蔵ほか数名の義士書状が残っており、大石良雄が描いた両親の画像も保存されている。(赤穂義士会より)

「赤穂義士史跡めぐり」による正福寺の縁起

正福寺
曹洞宗補陀落山正福寺は、浅野長直が始めて赤穂へ来たとき、父母菩提のため建てたのがはじまりで、花岳寺開山の秀巌龍田和尚の隠居寺であった。
はじめ加里屋にあったのを、元禄14年(1701)良雪和尚が現在地へ良雪庵として移した。宝永3年(1706)寺号を正福寺とし今日に至っている。
寺には大石良雄と良雪和尚が使った碁盤、良雄がかいた両親画像や義士の手紙など数多く保存されている。(「赤穂義士史跡めぐり」より)


いいお墓

正福寺の周辺図


参考資料
  • 赤穂義士史跡めぐり(財団法人赤穂市文化振興財団刊行)