無量光院跡。藤原秀衡建立、世界遺産「平泉」の構成遺産
無量光院跡の概要
無量光院跡は、平泉町平泉花立にある名所旧跡です。無量光院跡は、奥州藤原氏三代秀衡(1122-1187)が建てた無量光院の跡です。無量光院の境内は、周囲を囲む土塁と、3つの島をもつ梵字が池、池の中のもっとも大きな中島に阿弥陀堂が建立、宇治の平等院を模した伽藍配置だったといい、世界遺産「平泉」の構成遺産に含まれています。本堂と東中島建物の中軸線上に位置する金鶏山の山頂に、夕日が沈む光景を四月中旬と八月末頃に見ることができるそうです。
名称 | 無量光院跡 |
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みどころ | 金鶏山の山頂に沈む夕日 |
区分 | 世界遺産 |
住所 | 平泉町平泉花立44 |
備考 | - |
無量光院跡の由緒
無量光院跡は、奥州藤原氏三代秀衡(1122-1187)が建てた無量光院の跡です。無量光院の境内は、周囲を囲む土塁と、3つの島をもつ梵字が池、池の中のもっとも大きな中島に阿弥陀堂が建立、宇治の平等院を模した伽藍配置だったといい、世界遺産「平泉」の構成遺産に含まれています。本堂と東中島建物の中軸線上に位置する金鶏山の山頂に、夕日が沈む光景を四月中旬と八月末頃に見ることができるそうです。
「岩手県町村誌」による無量光院跡の由緒
(平泉村)
▲無量光院趾
高館の南にして伽羅館趾の西隣なり秀衡の建立なり、堂内の四壁に観経の大意を圖す又狩獵の圖は秀衡自ら書きしといふ、本尊は丈六の彌陀なり、其荘厳皆宇治の平等院に模せりとぞ三重塔鐘樓梵字池等の跡あり、天正年中焼失し今に礎石を存す俗に新御堂と號す。(「岩手県町村誌」より)
境内掲示による無量光院跡の由緒
無量光院跡
平安時代末に奥州藤原氏三代秀衡が建てた寺院の跡です。浄土庭園として知られ、三方が土塁に囲まれた境内には、梵字が池と呼ばれる池跡があり、その中に本堂跡の礎石が残る西島跡と、東中島跡があります。
鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鑑』によると、「宇治の平等院を模す」と記されています。昭和27(1952)年に行われた発掘調査によって本堂の形などが、平等院鳳凰堂に似ていることが確認されました。
四月中旬と八月末頃には、本堂と東中島建物の中軸線上に位置する金鶏山の山頂に、夕日が沈む光景を見ることができます。(境内掲示より)
境内掲示による無量光院跡の由緒
無量光院跡
無量光院は、極楽西方浄土を再現した12世紀(平安時代)の仏教寺院の貴重な例で、浄土庭園の最高傑作と評価されています。無量光院と其の浄土庭園からは、建築物としての重要性に加え、当時の人々が思い描いた極楽西方浄土の姿を伺い知ることができます。
無量光院は、三代秀衡(1122-1187)が造営しました。無量光院の境内は、周囲を囲む土塁と、3つの島をもつ広大な苑池で構成されています。池の中のもっとも大きな中島に阿弥陀堂が建っていました。
発掘調査では、東島から数棟の建物の跡が発見されました。ここで儀式や祈りが行われたと考えられています。北小島には、中島への橋跡が確認されています。
無量光院跡は、世界遺産「平泉」の構成遺産に含まれています。(国土交通省観光庁掲示より)
無量光院跡の周辺図
参考資料
- 「岩手県町村誌」