金鶏山。西方浄土の景観の象徴地
金鶏山の概要
金鶏山は、平泉町平泉柳御所にある名所旧跡です。金鶏山は、平泉の中心部に位置する標高100mの円錐形の小高い山で、二代基衡が黄金の雌雄の鶏を山中に埋めて平泉を鎮護としたと伝えられ、山頂には経塚が遺されています。また奥州藤原氏は、金鶏山に基づいて平泉を整備したと考えられ、無量光院跡から見た金鶏山が、仏教の西方浄土の景観を現しているとされています。
名称 | 金鶏山 |
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みどころ | - |
区分 | 特別史跡 |
住所 | 平泉町平泉柳御所 |
備考 | - |
金鶏山の由緒
金鶏山は、平泉の中心部に位置する標高100mの円錐形の小高い山で、二代基衡が黄金の雌雄の鶏を山中に埋めて平泉を鎮護としたと伝えられ、山頂には経塚が遺されています。また奥州藤原氏は、金鶏山に基づいて平泉を整備したと考えられ、無量光院跡から見た金鶏山が、仏教の西方浄土の景観を現しているとされています。
「岩手県町村誌」による金鶏山の由緒
(平泉村)
高館の西南に當れり秀衡其象ちを富士山に擬し高さ數十丈に築き黄金にて鶏の雌雄を作り其を山上に埋めて平泉鎮護とせしなりと、又郷説に秀衡漆一萬盃に黄金一萬を混へて土中に埋蔵し子孫に譲り傳ふと言へるは蓋し此所なるべし、其時の歌に
朝日さす夕日輝く木の下に 漆萬盃こかねおくおく(「岩手県町村誌」より)
境内掲示による金鶏山の由緒
金鶏山
平泉の中心部に位置する標高100mの円錐形の小高い山です。
「二代基衡が黄金で雌雄の鶏を造り、山中にこれを埋めて平泉を鎮護した」という伝承があり、山頂には十二世紀の経塚の高まりが残っています。東麓には花立廃寺と呼ばれる寺院跡があります。毛越寺の東側を区画する土塁の延長線上に、この山頂が位置することから、毛越寺や其の周辺の街並みは、金鶏山に基づいて造られたものと推定されます。
また、無量光院跡から見た金鶏山は、仏教の西方浄土の景観を現しているとされ、こうした信仰の象徴としても重要な山です。(境内掲示より)
境内掲示による金鶏山の由緒
金鶏山にはたくさんの伝説が伝えられています。その多くは、奥州藤原氏歴代当主が、平泉の鎮護を目的とし黄金の鶏を埋めたというものです。
金鶏山は、山頂から多数の甕や壺が見つかったことにより、お経を埋めた経塚山だったことが判明しました。黄金の鶏は発見されませんでしたが金鶏山は、聖なる山であり、平安時代以来、平泉を見守ってきたようです。
金鶏山登山口(境内掲示より)
金鶏山の周辺図
参考資料
- 「岩手県町村誌」