願成寺。岩手県一関市釣山にある曹洞宗寺院

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願成寺。岩手県一関市釣山にある曹洞宗寺院

願成寺の概要

曹洞宗寺院の願成寺は、白馬山と号します。願成寺は、新山城主竹内盛輔が至徳2年(1385)に創建、梅榮和尚が開基したといいます。愛宕社の麓の薬師堂に安置されていた薬師如来像(県指定文化財)、薬師堂のあった薬師沢にあった不動堂の不動明王像を、当寺へ移しています。

願成寺
願成寺の概要
山号 白馬山
院号 -
寺号 願成寺
住所 一関市釣山31
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 一関幼稚園



願成寺の縁起

願成寺は、新山城主竹内盛輔が至徳2年(1385)に創建、梅榮和尚が開基したといいます。愛宕社の麓の薬師堂に安置されていた薬師如来像(県指定文化財)、薬師堂のあった薬師沢にあった不動堂の不動明王像を、当寺へ移しています。

「岩手県町村誌」による願成寺の縁起

(一關町)願成寺
字釣山にあり境内五反三畝二十六歩曹洞宗白馬山と號す、至徳二年新山の城主竹内盛輔の創建にして江刺郡黒石正法寺第二世月泉禅師の法弟梅榮和尚の開基なり、什寶には慈覚大師作薬師如来不動明王の兩像其他古器物古文書あり、境域方七丁餘經堂は輪奐の美を盡し西北には酢川嶽を望む東北には東山あり、藤原秀衡三十六峰に擬せるもの風光明媚なり。(「岩手県町村誌」より)


願成寺所蔵の文化財

  • 木造薬師如来坐像(岩手県指定文化財)
  • 木造不動明王坐像(一関市指定文化財)

木造薬師如来坐像

坐像は一関でも古い寺といわれている白馬山願成寺の薬師堂に安置されている。
寄木造、漆箔、後世の修理で多少原型をそこねているが、柔和な面相、均整のとれた体躯、それを包む流麗な衣紋など、当時の特徴をよく表わしている。
像高八五、七センチ(二尺八寸三分)
藤原時代の作
昭和三十年七月五日県の文化財に指定された。この薬師如来像は、もと薬師沢の薬師堂にあったが、堂宇が朽ちたので願成寺に移したものといわれている。(一関市教育委員会掲示より)

木造不動明王坐像

明治維新薬師沢の不動堂廃止となり、本寺に収められたものという。
寄木造り、座高一五一センチ。
像は、全面に布を貼り朱漆の上に黒漆塗りのあとが見られる。
両眼を見開き、上向きの牙を出し、胸のふくらみ、左腕の折り曲げ膝の衣紋等は、鎌倉初期の特色を示している。
坐像は薬師堂に安置されている。(一関市掲示より)

保性院

一関藩主伊達兵部宗勝の生母。伊達政宗の側室。寛文九年(一六六九)三月十五日逝去。
墓は薬師堂の西側にある。元治二年(一八六五)赤萩村石工永作の手によるもので、祥雲寺十二世雄道が建立した。
伊達兵部は、寛永十八年(一六四一)より一関地方を統治した。
寛文元年(一六六一)磐井郡三万石の領地を与えられ寛文十一年(一六七一)まで一関城を居城としたらしい。同年伊達騒動事件を引きおこし四国土佐に流された。(一関市掲示よりより)

願成寺と三力士

秀ノ山雷五郎・一力長五郎・男山三五郎
何時の時代か明白ではありませんが、巡業中の急死した力士を、好角家が自分の墓に手厚く埋葬しましたが、後に無縁墓地となったものを、当寺四十世芳川光庵大和尚が墓地整理を行ったさいに秀ノ山と一力の墓石を発見し供養しているものです。
●第九代横綱秀ノ山雷五郎
秀ノ山は文化五年(1808)、本吉郡最知邑菊田久吉の五男に生れ、辰五郎といった・北山を名乗るが小兵の不利は免れず、しかし入門十年目に幕内入りを果たす。弘化二年(1845)第九代横綱に昇進して秀ノ山雷五郎と改め、ときに辰五郎三十八歳でした。
文久二年(1862)、江戸で死去享年五十五歳。墓は東京亀戸普門院にあります。当寺の秀ノ山の墓石は、台石も含めても九十糎とごく小さなもので『雷耀院秀山鼎砕居士。文久二壬戌年五月十九日、江戸相撲年寄三代目、秀山雷五郎之墓』とあります。引退後の巡業参加中に一関で急死したのではないかと思われます。
●幕末の前頭筆頭一力長五郎
一力長五郎は茨城県の出身で、『透関院万法一力居士、安政六巳未年八月二十五日木村庄之助門人』とある。これは行司墓と間違ったもので、一関巡業中病没した力士を金森という好角家が、自分の墓の一画に埋葬し供養してきたが、金森家も無縁となって、芳川光庵師によって山門脇に移され回向されています。
●明治の力士男山三五郎
男山三五郎は栗原郡萩野村の出身の草相撲で、明治十二年十二月廿一日、北海道函館巡業中に死去享年四十八歳という説と、仙台人名辞典による<安政七年(万延元1860)二月序ノ口、文久二年(1862)序ノ口限>と一致しない。
『明治十二年旧十月八日、男山三五郎碑片馬合産』因みに男山三五郎は、工学博士阿部美樹志氏の祖父にあたります。(願成寺実践フォーラム・故事事蹟部会掲示より)

願成寺の周辺図


参考資料

  • 「盛岡の寺院」(一関市仏教会)