騎雲山専立寺。顕然坊好覚創建
専立寺の概要
真宗大谷派寺院の専立寺は、騎雲山と号します。専立寺は、山城の国(現在の京都地方)右京権之頭平ノ好覚が源平合戦で平家が滅亡したことから、法然上人の弟子となり顕然坊好覚と名乗って出家、陸奥国福岡大村松に草庵を建立して創建したといいます。天正18年(1590)九戸政実の乱によってその草庵を焼失したため、盛岡本誓寺に同居、本誓寺十六代賢昌の誘いにより浄土真宗に改めたといいます。
山号 | 騎雲山 |
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院号 | - |
寺号 | 専立寺 |
住所 | 盛岡市名須川町3-17 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
専立寺の縁起
専立寺は、山城の国(現在の京都地方)右京権之頭平ノ好覚が源平合戦で平家が滅亡したことから、法然上人の弟子となり顕然坊好覚と名乗って出家、陸奥国福岡大村松に草庵を建立して創建したといいます。天正18年(1590)九戸政実の乱によってその草庵を焼失したため、盛岡本誓寺に同居、本誓寺十六代賢昌の誘いにより浄土真宗に改めたといいます。
「盛岡の寺院」による専立寺の縁起
開基
開基は好覚という人物である。彼は俗姓山城の国(現在の京都地方)右京権之頭平ノ好覚といわれ、平家が滅せられ世を逃れるために出家し、文治二年(一一八六)十二歳で、当時浄土宗を聞かれた法然上人の弟子となり、顕然坊好覚と名乗った。後に、浄土宗布教のため法然上人に代わって奥羽を巡化し、陸奥国福岡大村松に一草庵を創立し、建長二年(一二五〇)七十六歳でその草庵にて亡くなった。
寺院沿革
その草庵が専立寺である。後に、その草庵(専立寺)九代目圓覚の時、天正十八年(一五九〇)九戸政実の乱によってその草庵を焼失し、当地に来て本誓寺と同居する。
後に、本誓寺十六代賢昌の誘いにより浄土宗を改め、真宗大谷派に転宗した。当寺十二代唯源の時とされている。(「盛岡の寺院」より)
専立寺の周辺図
参考資料
- 「盛岡の寺院」(盛岡市仏教会)