利生院(閻魔堂)。栃木県足利市井草町にある浄土宗寺院

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瑠璃山利生院(閻魔堂)。井草の閻魔様

利生院(閻魔堂)の概要

浄土宗寺院の利生院(閻魔堂)は、瑠璃山醫王寺と号します。利生院(閻魔堂)の創建年代等は旧記を焼失したため不詳ながら、勘譽善察和尚が明暦年間(1655-1657)の創建と伝えられます。天保2年(1832)・明治25年の大火により堂宇焼失したものの、信徒の寄附により再建、平成21年の再建に際して、本尊を閻魔大王とし、閻魔堂と呼び習わしています。なお、当寺の前の井草通りを「縁切橋」と呼んでいたことから、婚礼の行列は当所を避ける風習があったといいます。

利生院(閻魔堂)
利生院(閻魔堂)の概要
山号 瑠璃山
院号 利生院
寺号 醫王寺
本尊 -
住所 足利市井草町
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



利生院(閻魔堂)の縁起

利生院(閻魔堂)の創建年代等は旧記を焼失したため不詳ながら、勘譽善察和尚が明暦年間(1655-1657)の創建と伝えられます。天保2年(1832)・明治25年の大火により堂宇焼失したものの、信徒の寄附により再建、平成21年の再建に際して、本尊を閻魔大王とし、閻魔堂と呼び習わしています。なお、当寺の前の井草通りを「縁切橋」と呼んでいたことから、婚礼の行列は当所を避ける風習があったといいます。

利生院(閻魔堂)の縁起

利生院(閻魔堂)井草町
利生院(閻魔堂)は、瑠璃山醫王寺と号し、本尊は薬師如来で、巴町にある法玄寺の末寺です。現在は、高さ約二メートルの閻魔大王坐像が正面に奉られ、井草の閻魔様と親しまれています。毎年一月十六日・八月十六日には大祭が行われ、
「交通安全」や「学業成就」などに
ご利益があり、近隣の信仰の厚い方々で賑わっています。
当お寺は、幾度かの火災で記録が焼失してしまい、詳しいことは分かっていませんが、古老の云い伝えや僅かな資料によりますと、明暦年間(一六五五~一六五七)勘譽善察和尚の創建と伝えられ、明治二十五年二月の近隣の大火においては堂宇が焼失したにもかかわらず、信徒の方の機転により閻魔様の頭部のみが救われたと言い伝えられています。
また、明治の大火で焼失した堂宇は、信徒等の寄附により、同年中に再建され、平成二十一年八月には、法玄寺住職や信徒の方々の尽力により平成の閻魔堂が完成しました。お堂の西側には、珍しい六地蔵石灯籠や五輪塔等の石造物が奉られており、往時の信仰の深い方々の賑いが想像されます。
閻魔大王は、中国の道教の神で地蔵菩薩の化身とも言われ、地獄に堕ちた方でも地蔵菩薩が救い出すと云う信仰です。(境内掲示より)

「足利市史」による利生院(閻魔堂)の縁起

利生院(浄土宗)閻魔王の坐像あり
一位置
本市井草町に在り。瑠璃山醫王寺と號す。法玄寺末にして、本尊は、薬師如来なり。
二沿革
數度の火災に遇ひ、記録全くなし。古老の言を綜合するに、明暦年間(紀元二三一五-七年)、堪譽善察和尚の創建なるが如し。天保二年(紀元二四九一年)正月の大火に類焼して、再建せしも、明治二十五年二月、復焼失し。現在の堂宇は、篠崎・林兩氏及び信徒の寄附によりて、北郷村江川、吉川氏の坐敷を譲受け、同年中に再建せるものなり。本尊の外に、閻魔大王の木坐像あり。高さ八尺、毎年一月・七月の十六日を縁日とし、参詣者雑沓す。法玄寺住職和田良順兼住す。檀家なく、町内の寄附によりて維持す。
附記此の寺の前の井草通りを「縁切橋」といふ。實際橋あるに非ず。依りて婚禮の行列は、此處を通過するを避くる風習あり(風俗編参照)(「足利市史」より)


利生院(閻魔堂)の周辺図


参考資料

  • 「足利市史」