法雲寺。栃木県佐野市寺中町にある臨済宗建長寺派寺院

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亀峰山法雲寺。徳川家康の日光埋葬に際して仮安置

法雲寺の概要

臨済宗建長寺派寺院の法雲寺は、亀峰山と号します。法雲寺は、天台宗の開祖伝教大師最澄が延暦年間(782-806)東光寺と共に創建、法雲庵と称していたと伝えられます。当寺第14世物外和尚は、当寺を法雲寺と改め中興、また東光寺住持となり、東光寺を大改修したといいます。

法雲寺
法雲寺の概要
山号 亀峰山
院号 -
寺号 法雲寺
本尊 -
住所 佐野市寺中町2337
宗派 臨済宗建長寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



法雲寺の縁起

法雲寺は、天台宗の開祖伝教大師最澄が延暦年間(782-806)東光寺と共に創建、法雲庵と称していたと伝えられます。当寺第14世物外和尚は、当寺を法雲寺と改め中興、また東光寺住持となり、東光寺を大改修したといいます。徳川家康の日光埋葬に際しては、当寺に仮安置されていたそうです。

境内掲示による法雲寺の縁起

臨済宗建長寺は亀峰山法雲寺小史
延暦年間伝教大師最澄を開祖とする天台宗法雲庵である
十四世紀足利将軍時代、唐僧の秋紅禅師を開山に無参禅師を中興とし禅宗となる。しかしその後の二百五十年間は杳として模糊
十七世紀徳川書記よりはさまざまな古文書・寺史・日單・過去帳などから確たるものであり一代住職し、ここから数々現住で十六世となる
また、この頃である、東京国立博物館にある幕府で出した五街道絵図は国の一級品資料であるが、その中の法雲寺解説で、元和三年(一六一七)徳川家康公の遺柩を日光山移葬の途中、当寺に仮安置した事も記録されている。江戸から明治にかけては、十二も在ったまわりの寺院も順次その存立を失い、廃寺となり、また統合され東光寺として管理されるも、ただ一ヶ寺法雲庵のみは、本派二等地の独立寺院として厳存し独自の教え権を帳っていた。降って明治大正~昭和初期、十四世物外和尚の禅僧としての活動はめざましく、次代を担う人作りをモットーに東明学院を設立、また東光寺の正住職に付くや、薬師境内佛殿諸堂の大改修を成しとげ田中正造のよき相談者となり、多くの社会活動など萬人の認むところであり当寺の中興開山とする所以である。法雲庵(ホーナン)が法雲寺と改められたのもこの時期である。
次の十五世紫山和尚も、大学者でありすこぶる大きな人物は天下周知で、これらの徳が終結和合し、平成十年ついに開花し形となったものが、現本堂瑠光殿であり書院であり禅庭園のなごみと荘厳である。有難きかな合掌
平成十五年春季彼岸 法雲十六世謹記(境内掲示より)


法雲寺の周辺図