亀峰山東光寺。天台宗の開祖伝教大師最澄創建、建長寺第7世再興
東光寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の東光寺は、亀峰山と号します。東光寺は、天台宗の開祖伝教大師最澄が延暦年間(782-806)に創建したと伝えられます。建長寺第7世大円が康元元年(1256)に臨済宗寺院として再興、12もの坊舎を擁する大寺だったといいます。当寺中門は、堀田佐野城の大手門だったものを、廃藩置県に伴い、堀田家が菩提寺である当寺へ移築したものだといいます。
山号 | 亀峰山 |
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院号 | - |
寺号 | 東光寺 |
本尊 | - |
住所 | 佐野市寺中町2339 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東光寺の縁起
東光寺は、天台宗の開祖伝教大師最澄が延暦年間(782-806)に創建したと伝えられます。建長寺第7世大円が康元元年(1256)に臨済宗寺院として再興、12もの坊舎を擁する大寺だったといいます。
「全国寺院名鑑」による東光寺の縁起
延暦年間伝教大師の開祖円澄の創建でもと天台宗。康元元年建長寺七世大円再興して禅宗とした。天正五年兵火にかかる。承応年中玉堂により再興。慶応二年類焼で本堂庫裡焼失。昭和に至り再興し現今に至る。(「全国寺院名鑑」より)
東光寺所蔵の文化財
- 東光寺中門
- 東光寺「和算の額」
東光寺中門
文政九年(一八二六)植野の地に封ぜられた堀田摂津神正敦(まさあつ)が、同十一年(一八二八)に植野城(堀田佐野城)を築いた。その陣屋の大手門(表門)を廃藩置県に伴い、明治九年(一八七六)七月に堀田家の菩提寺である東光寺に移築したものである。(佐野市教育委員会掲示より)
「全国寺院名鑑」による東光寺の縁起
算額とは、「数学の絵馬」のことで、江戸時代に発達した日本の数学「和算」の問題と解答を額に記して、神社仏閣に奉納したものである。
東光寺の「和算の額」は天保十二年(一八四一)、当時の植野村に住む、野村八右衛門吉久が、和算の師の名が忘れさられるのを惜しみ奉納したものである。
県内に現存する和算の額の中では、四番目に古いものとして位置づけられている。
縦六十三センチメートル、横百八十センチメートル(額縁を含めて)。(佐野市教育委員会・佐野市民文化振興事業団掲示より)
東光寺の周辺図