成田山遍照寺|明治14年旭不動堂として設立、豊島八十八ヶ所霊場
遍照寺の概要
真言宗智山派寺院の遍照寺は、成田山と号します。江戸時代には大日山遍照寺と号す天台宗寺院でしたが、明治4年廃寺となりました。明治14年旭不動堂と称して成田山新栄講の道場となり、昭和22年成田山新勝寺末の真言宗寺院として復活しました。豊島八十八ヶ所霊場71番札所、北豊島三十三ヶ所霊場33番札所でした。
山号 | 成田山 |
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院号 | - |
寺号 | 遍照寺 |
住所 | 板橋区仲宿40-7 |
本尊 | 不動明王 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 豊島八十八ヶ所霊場71番札所、北豊島三十三ヶ所霊場33番札所 |
遍照寺の縁起
遍照寺は、江戸時代には大日山遍照寺と号す天台宗寺院でしたが、明治4年廃寺となりました。明治14年旭不動堂と称して成田山新栄講の道場となり、昭和22年成田山新勝寺末の真言宗寺院として復活しました。
いたばしの寺院による遍照寺の縁起
江戸時代は大日山と号し、区内唯一の天台宗寺院であったが、明治4年廃寺となった。その後明治14年旭不動堂と称して成田山新栄講の道場となり、昭和22年真言宗寺院として復活、現在は成田山新勝寺末寺となっている。 境内は宿場時代の馬つなぎ場で、幕府公用の伝馬に使う囲馬、公文書伝達用の立馬、普通継立馬などがつながれていた。境内にまつられる寛政10年(1798)建立の馬頭観音と宿場馬を精巧に模倣した駅馬模型にそのなごりをとどめるのみである。 また、堂内には上宿に居住した町絵師柴左一の画いた明治期の板橋遊郭千代本楼遊女道中の扁額が納められている。(いたばしの寺院より)
新編武蔵風土記稿による遍照寺の縁起
(下板橋宿)遍照寺
天台宗葛飾郡隅田村木母寺末、大日山と號す、中興の僧を慶雲と云、寛文二年七月十三日化す、本尊大日を安す、是境内より出現の像なりと云長五寸許(新編武蔵風土記稿より)
遍照寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「いたばしの寺院」