葛飾区青戸の案内|寺院、神社の案内
葛飾区青戸の案内
葛飾区青戸は、鎌倉時代の古文書に記載があることや、宝持院の創建が天養2年(1145)と伝えられていることから、平安時代末期には地名として成立していたと考えられます。当地には中世の築かれたと伝えられる葛西城址、江戸時代に将軍鷹狩りの休憩所として利用された青戸御殿(葛西城址と同地)がありました。
青砥左衛門尉藤綱は、横浜市緑区青砥町も領していたといい、緑区青砥町の法性山蓮生寺には青砥大明神が祀られている他、その縁起によると子孫は、青砥村の他、千葉県香取郡寺作村にいたといいます。
青戸には、鎌倉時代に名判官として知られた青砥左衛門尉藤綱が居住していた館跡があったとする伝承があり、「青砥」が本来の表記と考えている方が多いと思います。しかし、奥州平泉の中尊寺伝わる鎌倉時代の古文書には、この地を本拠とした「青戸二郎重茂」なる武士の名が記されていることからもわかるように、古くは「青戸」と表記していました。「戸」は本来「津」であり「港津」をあらわし、対岸へ渡河することもできる水上交の要所につく地名です。「青戸」は、室町時代には葛西(葛飾・江戸川・墨田・江東区)と呼ばれる領域の政治・経済の中心地として「亀有」とともにさかえ、戦国期には葛西城が築かれました。「青戸」は本地域の歴史を考える上で重要なところなのです。青砥藤綱という人物が実在していたかどうかという真偽は別として、今では京成電鉄の駅名が「青砥」、住居表示は「青戸」が使われています。また、地元では「あおと」とは呼ばず、「大戸(おおと)」と訛って呼んでいたりもしました。(葛飾区HPより)
葛飾区青戸の寺院
葛飾区青戸の神社
青砥駅青戸の名所旧跡