金亀山観蔵寺|柴又七福神の一つ寿老人、南葛八十八ヶ所、新四国四箇領八十八ヵ所
観蔵寺の概要
真言宗豊山派寺院の観蔵寺は、金亀山神宮院と号します。文明元年(1469)僧空性坊が創建、承応2年(1653)隆敬法印が中興開山したと伝えられます。柴又七福神のうちの一つ寿老人、また南葛八十八ヶ所霊場の第10番、西新井組中川通四箇領八十八箇所26番、東三十三所観音霊場7番です。京成本線沿いにあり、京成高砂駅からも望むことができます。線路向かいには高砂天祖神社があります
山号 | 金亀山 |
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院号 | 神宮院 |
寺号 | 観蔵寺 |
住所 | 葛飾区高砂5-5-2 |
本尊 | 観世音 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 柴又七福神の寿老人、南葛八十八ヶ所霊場の10番札所 |
観蔵寺の縁起起
観蔵寺は、文明元年(1469)僧空性坊が創建、承応2年(1653)隆敬法印が中興開山したと伝えられます。
新編武蔵風土記稿による観蔵寺の縁起
観蔵寺
新義真言宗、上小松村正福寺の門徒、金亀山神宮院と号す。本尊正観音を安す。中興開山隆敬、元禄2年3月9日寂。(新編武蔵風土記稿より)
葛飾区寺院調査報告による観蔵寺の縁起
文明元年(1469)僧空性坊の創立。天文7年(1538)および永禄7年(1569)の再度にわたる国府台の合戦に焼失して荒廃したが、承応2年(1653)隆敬法印によって再興された。当寺にもと元禄9年(1696)無桃軒石鵬筆の「金亀山神宮院観蔵寺景園之記」一巻を蔵し、享保10年(1725)当時の快賢律師が補修し、上野国世良田荘(群馬県)総持寺の沙門慧弁が奥書を記した記録であったが、現在は所在不明である。元文4年(1739)の「正福寺惣門起立録」には、次のように記されている。
曲金村 金亀山 神宮院 観蔵寺
本尊 観世音
開基 文明元年空性坊
元文4年迄 凡272年
三社明神社地 1畝5歩 御見捨
熊野権現社地 1畝歩 右同断
牛頭天王社地 1畝歩 右同断
山王宮社地 1畝歩 右同断
地蔵森 1畝歩 右同断
寺附田地 2反8畝10歩 御年貢地
買添 5畝23歩 右同断
同 1畝歩 右同断
同 2畝26歩 右同断
境内 4畝歩 右同断
御代官所 伊那半左衛門殿
右のうち三社明神は、現在の高砂天祖神社で、当寺が別当職を勤めていた。本堂は大正3年の再建で、昭和38年修築された。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
観蔵寺の周辺図