象頭山本智院|当地にあった成田山教会所を合併して浅草から移転
本智院の概要
真言宗智山派寺院の本智院は、象頭山観音密寺と号します。本智院の創建年代は不詳ですが八丁掘に創建、明暦年中に焼失後、浅草不唱小名へ移転、鳥越神社の別当を勤めていたといいます。大正元年(或いは大正10年)に、当地にあった明治20年代開創の成田山教会所を合併して当地へ移転したといいます。荒川辺八十八ヶ所霊場80番、北豊島三十三ヶ所霊場28番、御府内二十一ヶ所霊場18番札所です。
山号 | 象頭山 |
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院号 | 本智院 |
寺号 | 観音密寺 |
住所 | 北区滝野川1-58-2 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本智院の縁起
本智院の創建年代は不詳ですが八丁掘に創建、明暦年中に焼失後、浅草不唱小名へ移転、鳥越神社の別当を勤めていたといいます。大正元年(或いは大正10年)に、当地にあった明治20年代開創の成田山教会所を合併して当地へ移転したといいます。
「北区史」による本智院の縁起
本智院(滝野川)
もと浅草区(現台東区)栄久町一三二にあつた。幕末鳥越神社の別当職を司つた時代もあつた程の由緒ある寺で、元和年中開基、大正六年五月区内の滝野川町四八都電飛鳥山終点の所に移転の許可を得て新築し、大正十年五月に移転をおえた。滝野川の不動として知られ本尊は不動明王である。(「北区史」より)
御府内寺社備考による本智院の縁起
京都智積院末、浅草不唱小名
象頭山観音密寺本地院、境内古跡拝領地六百七拾二坪
当寺往古八丁堀辺に起立之由申伝候得共、明暦年中類焼之節記録焼失仕相知不申候。
中興開山権大僧都法印明実、元禄二巳年八月十四日寂。
仮本堂、間口六間奥行三間。
本尊大日金剛界木像。弘法大師木座像。興教大師木座像。阿弥陀木立像。正観音木立像。
聖天堂、土蔵造方三間。拝殿、二間四方宗対馬守建立。
聖天銅立像、長七寸五分弘法大師作赤松円心所持。甲宵聖天像、同作同人所持。本地十一面観音木立像、長一尺七寸五分恵心僧都作。弁財天并十五童子、各長七寸八分弘法大師作。右ハ江の嶋にて十万座護摩修行、其灰を以て作り裏に手判有之。天長七年七月七日と有之。正観音立像、長九分弘法大師作。大黒天立像、俵千十三俵其上ニ安置長一寸三分。
鎮守十二所権現、一軸。
末社稲荷木立像。右十二所権現稲荷合社ニ有之候所、先年類焼之節焼失仕、当時聖天堂二安置。
宝筐印塔、高一丈一尺。一基。
寺中長珠院不動院と号し候、二ケ院有之候処退廃仕候。年代は相知不申候得共、延享年中御改之節二ケ院共書上候由申伝候得ハ、其比ハ相続仕有之候義ニ御座候。
以上乙酉書上(御府内寺社備考より)
本智院の周辺図