慈雲山観蔵院|豊島八十八ヶ所霊場
観蔵院の概要
真言宗智山派寺院の観蔵院は、慈雲山曼荼羅寺と号します。創建年月は不詳ですが、三宝寺の塔頭寺院として創建、文明9年(1477)当地へ移転したといいます。豊島八十八ヶ所霊場81番札所です。
山号 | 慈雲山 |
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院号 | 観蔵院 |
寺号 | 曼荼羅寺 |
住所 | 練馬区南田中4-15-24 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 不動明王 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 豊島八十八ヶ所霊場81番札所、曼荼羅美術館併設 |
観蔵院の縁起
観蔵院は、創建年月は不詳ながら、三宝寺の塔頭寺院として創建、文明9年(1477)当地へ移転しました。
「練馬の寺院」による観蔵院の縁起
「新編武蔵風土記稿」に「宝蔵院 新義真言宗。上石神井村三宝寺門徒慈雲山ト号ス。本尊不動」「稲荷社 村ノ鎮守ナリ。宝蔵院持。」とあるが、田中村の「地誌調写置」には「寛蔵院」となっている。もと三宝寺塔頭寺院の一つとして建立されたもので、文明9年(1477)4月、三宝寺が現位置へ移転の折、この田中の地に移ったといわれる。
昭和16年12月、三宝寺から離れて総本山智積院に属した。昭和22年までは無住のときもあり、三宝寺住職が兼務していた。
檀家には、谷冶、平井等の姓が多く、墓石に見られる斉藤、鴨下等は禅定院、榎本姓は法性院や荻窪の中道寺系で、真言宗、法華宗の墓石が入りまじっている。これはいつの頃か、近辺の畑地、山林、宅地等所々に点在していた墓地をここに集めたからである。
本堂に続いて薬師堂がある。安置されている薬師如来は日出薬師と呼ばれ、十二神将を配している。
山門前の六地蔵や庚申塔、境内の文化5年(1808)建立の「施主筆子中」と銘のある供養塔、墓地入口の元和年間(1615-24)の五輪塔など、石造物の見るべきものが多い。
現在の本堂は昭和60年に、薬師堂と客殿は平成4年に落成したものである。
山門は平成14年に建て替えられ、庫裡を曼荼羅美術館を兼ねている。
練馬区教育委員会掲示による観蔵院の縁起
観蔵院は、山号を慈雲山といい、真言宗智山派(豊島八十八ヶ所霊場第81番札所)のお寺で本尊は不動明王です。
本堂脇に薬師堂があり、日出薬師と呼ばれ、今も多くの崇敬をあつめています。堂内には薬師如来を信仰する人を衛護するといわれる十二神将が祭られており、堂前には日出薬師の碑があります。
昔の田中村の字に薬師堂の地名があり、いまも石神井川に薬師堂橋の名で残っております。この日出薬師は昔は現在地より東北方にあってその地名の起りになったという口碑があります。
門前には六地蔵や庚申塔、馬頭観音があり、墓地には元和年間(1615-24)の五輪塔、正保期(1644-48)の典型的な夫婦墓などがあります。また墓地入口には宝暦12年(1762)造立の筆子塚があり、区内で最も古い家塾の存在をうかあうことのできる教育資料として貴重なものです。(練馬区教育委員会掲示より)
観蔵院の所蔵の文化財
- 筆子供養塔
筆子供養塔について
この供養塔は筆子供養塔といって、教えを受けた生徒が亡くなった恩師の菩提を祈り建立したものです。これはかつて観蔵院で寺子屋が開かれ、近隣の子供達の教育に寄与していた歴史が確認できる貴重な遺跡です。
二体の供養塔には、それぞれ宝暦12年(1762)、文化5年(1808)の年号の筆子中という施主名が刻まれています。これらは観蔵院が地域・文化の中心の場であった事を示す、練馬区では最古の史跡でもあります。 (練馬区教育委員会掲示より)
観蔵院の周辺図
参考資料
- 練馬の寺院(練馬区教育委員会)