覚應山長勝寺|田中長勝が創建
長勝寺の概要
日蓮宗寺院の長勝寺は、覚應山と号します。正保3年(1646)田中長勝が創建したと伝えられます。長勝寺には、池上本門寺十五世長遠院日樹(1574-1631)の供養塔、日蓮聖人坐像など、日蓮宗不受不施派に所縁のある文化財が蔵されているといいます。
山号 | 覚應山 |
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院号 | - |
寺号 | 長勝寺 |
住所 | 大田区中央6-6-5 |
本尊 | - |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長勝寺の縁起
長勝寺は、正保3年(1646)田中長勝が創建したと伝えられます。新編武蔵風土記稿には、長勝寺二世日言が寛文11年(1671)寂と記載されていますが、これは不受不施派に対する禁令後の世代と思われます。
「大田区の寺院」による長勝寺の縁起
寺伝によれば、正保3年(1646)田中長勝により開創された。新編武蔵風土記稿には房州長狭郡小湊誕生寺末で、覚應山と号し、開山日繕、開闢の年代は伝えないが、2世日言が寛文11年(1671)入寂であるから、それほどの古寺ではないとある。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による長勝寺の縁起
長勝寺
除地1段1畝12歩。八幡宮(現太田神社)の並びにあり。法華宗、房州長狭郡小湊誕生寺末、覚應山と号す。開山陽善院日繕上人、開闢の年代を傳へず。二世日言寛文11年入寂すといへば、させる古寺にはあらず。本尊三宝客殿に安ず。(新編武蔵風土記稿より)
長勝寺所蔵の文化財
- 日樹上人供養塔(大田区指定文化財)
- 日蓮聖人坐像(大田区指定文化財)
日樹上人供養塔
幕府の施物は、信仰による布施でないとして、これを受けることを拒否し、純信性を唱え、日蓮宗内に受・不受両論の対立をもたらした不受不施派の巨頭、池上本門寺十五世、長遠院日樹(1574-1631)の供養塔である。
寛永7年(1630)、受側を代表する身延と不受を主張する池上は公庭に対決し、(身池対論)幕府の裁許により池上方は破れ、日樹は信州飯田に流された。
この塔は、日樹の三十三回忌に、近在の信徒集団によって建てられたことが、銘文によって知られ、日樹流罪後も不受不施信仰がこの地に根強く存在していた事実を立証する。(大田区教育委員会掲示より)
日蓮聖人坐像
木造寄木造り、彩色、玉眼、像高36.7cm。
本像は台座裏に銘文があり、寛文元年(1661)に杉本七良右衛門と奉加の人びとにより、野口彦右衛門が施主となって造像されたことがわかる。
開眼の僧は、大野法蓮寺(千葉県市川市)十八世日完上人で、彼は同5年(1665)12月禁教不受不施派のリーダーの一人として、伊予吉田に配流された。
この像は、もと了性寺の祖師像として造立されたと記されており、この期に了性寺が不受不施派として弾圧をうけたため、同派縁故の当寺に移されたものと推定してよかろう。(大田区教育委員会掲示より)
長勝寺の周辺図