猫の足あとによる品川区・東京都・首都圏の寺院、神社など寺社案内

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品川神社|品川区北品川の神社、東京十社、郷社、東海七福神の大黒天

品川神社の概要

品川神社は、品川区北品川にある神社です。品川神社は、文治3年(1185)に源頼朝が安房国州崎明神を勧請し、創建されました。天正18年(1590)8月1日徳川家康が江戸城に入り、翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地を賜りました。(後に南貴船社:荏原神社と朱印争いをおこし、2石5斗ずつニ分)。明治時代には准勅祭社の一社に、現在東京十社の一社に指定されています。また、本殿には、東海七福神の大黒天が祀られています。

品川神社
品川神社の概要
社号 品川神社
祭神 天比理乃咩命
配祀 素盞嗚尊、宇賀之売命
末社 阿那稲荷社、御嶽神社、清滝弁財天社、浅間神社、猿田彦神社
例祭日 6月7日に近い金曜~日曜日
住所 品川区北品川3-7-15
備考 准勅祭社東京十社、郷社、東海七福神の大黒天


※御朱印はいけみずさんより寄贈


品川神社の由緒

品川神社は、文治3年(1185)に源頼朝が安房国州崎明神を勧請し、創建されました。天正18年(1590)8月1日徳川家康が江戸城に入り、翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地を賜りました。(後に南貴船社:荏原神社と朱印争いをおこし、2石5斗ずつニ分)。明治時代には准勅祭社の一社に、現在東京十社の一社に指定されています。また、本殿には、東海七福神の大黒天が祀られています。

「品川区の文化財」による品川神社の由緒

社伝によれば、後鳥羽天皇の文治3年(1185)に源頼朝が安房国州崎明神を勧請した。
元応(1319)当国の守護二階堂出羽入道道蘊が、当社の神威を感じて本社を新たに造立した。
応永年中(1394)当郷の住人鈴木正清入道幸純が当社を深く崇敬して、永享4年(1429)社殿の造営を行った。
長禄年中(1457)太田道灌が江戸城に入り、文明10年(1478)6月に、自ら牛頭天王を勧請して神事を怠慢なくつづけた。
後北条氏も崇敬し、数度にわたり修理を加えられた。
天正18年(1590)8月1日徳川家康が江戸城に入り、翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地を賜った。後に南貴船社(荏原神社)と朱印争いをおこし、2石5斗ずつに分けたのである。
寛永14年(1637)に東海寺建立のとき、当社地の内南の方が御用地となり、代替地1813坪を門前地として賜った。其の時、東海寺の鬼門にあたる為、同寺鎮守となり、以来本社以下神主宅まで幕府によって修造され幕末に至った。
現在元禄7年焼失の時、造営奉行戸田能登守忠直が、社伝等悉く造営した。社前に建てた制札が残されている。(「品川区の文化財」より)

東京都神社名鑑による品川神社の由緒

当社は鎌倉時代の文治三年(一一八五)に、源頼朝が品川港の海上交通安全を祈り、安房国洲崎明神(天比理乃咩命)を勧請し、崇敬された。後醍醐天皇の御世(一三一九)に当国の守護職二階堂出羽入道道蘊(貞藤)が、五穀豊鏡、産業発展を祈り、宇賀之売命を勧請し、社地を吉端岡と名付けた。文明十年(一四七八)六月太田道灌が、風水害、疫病退散を祈り牛頭天王を勧請した。天正十九年(一五九一)に徳川家康より玉石の朱印地を賜わる。明治元年十一月准勅祭神社に定められる。昭和七年「新東京八名勝」選定にて第三位に、昭和五十八年「新東京百景」選定には第五位に人選する。(東京都神社名鑑より)


品川神社所蔵の文化財

品川神社にある東京都指定無形民俗文化財

  • 品川神社太太神楽(だいだいかぐら):神事

品川神社にある品川区指定文化財

  • 品川神社石造鳥居並水盤
  • 品川神社石造灯籠
  • 神輿1基
  • 品川神社文書
  • 品川神社富士塚
  • 板垣退助墓
  • 品川神社富士塚山開き行事
  • 品川拍子(品川神社中心の地域)

品川神社の周辺図


参考資料
  • 「品川区の文化財」
  • 東京都神社名鑑