浅草寺|聖観音宗総本山、東京都内最古寺院、坂東三十三観音、江戸三十三箇所観音、浅草七福神の大黒天
浅草寺の概要
聖観音宗総本山の浅草寺は金龍山と号します。推古天皇時代の創建とされ、東京都内最古の寺院です。浅草寺は、推古天皇36年に土師臣真仲知・檜前浜成・檜前武成の33人が漁労に際して川より引き上げた観音像を安置して創祀したといいます(伝承:飯能市岩井観音堂を参照)。大化元年に沙門勝海が堂宇を建立、天慶五年には安房守平公雅が寺地を寄進して寺観を一新、鎌倉時代には50人の僧侶が修行していたといいます。徳川家康が関東入国した際に寺領500石の御朱印状を受領、幕府の宗教政策により東叡山寛永寺の末寺とされたものの、戦後独立し、聖観音宗の総本山としました。坂東三十三観音の13番札所、江戸三十三箇所観音霊場の1番、東京三十三観音霊場31番札所、浅草七福神の大黒天です。
山号 | 金龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 浅草寺 |
住所 | 台東区浅草2-3-1 |
宗派 | 聖観音宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 聖観音宗総本山、浅草七福神の大黒天 |
- 浅草寺宝蔵門
- 浅草寺雷門
- 浅草寺二天門
- 浅草寺五重塔
- 浅草寺本堂
- 浅草寺影向堂
- 浅草寺淡島堂
- 浅草寺不動堂
- 浅草寺時の鐘
- 浅草寺弁天堂
- 浅草寺橋本薬師堂
- 浅草寺六角堂
- 浅草寺普門会館
- 浅草寺御朱印
- 浅草寺大黒天御朱印
- 浅草寺伝法院御朱印
※御朱印画像はいけみずさんよりの寄贈
浅草寺の縁起
浅草寺は、推古天皇36年に土師臣真仲知・檜前浜成・檜前武成の33人が漁労に際して川より引き上げた観音像を安置して創祀したといいます(伝承:飯能市岩井観音堂を参照)。大化元年に沙門勝海が堂宇を建立、天慶五年には安房守平公雅が寺地を寄進して寺観を一新、鎌倉時代には50人の僧侶が修行していたといいます。徳川家康が関東入国した際に寺領500石の御朱印状を受領、幕府の宗教政策により東叡山寛永寺の末寺とされたものの、戦後独立し、聖観音宗の総本山としました。
「淺草區史」による浅草寺の縁起
淺草寺
淺草公園にあり。其の開基は實に推古天皇の御宇にありと傳へらる。本尊は即ち觀世音にして推古天皇の三十六年、土師臣眞仲知及び檜前濱成同武成の三人當時の宮戸川に網して是を得、僅かに藜を以て結びたる小堂に安置したりといふ。其の後孝徳天皇大化元年沙門勝海堂宇を修め、天慶五年安房守平公雅更に寺觀を新にし寺田數百町歩を寄進したりと稱す。されば建長三年既に五十人の僧侶食堂にありと吾妻鏡に記すに至る。蓋し關東の中心たりし鎌倉に求めて得ざりし名工を我が淺草に求めたる吾妻鏡によりて、當時浅草寺の盛なりしを察すべく、且つ浅草寺によりて附近の梢繁榮したりけんことをも知るべし。然れども徳川氏入府以前の有様は藤原惺窩をして『老屋の蕭條たるもの三十二宇、擔は半ば傾き垣は漸く頽る』と叙せしむるに至る。これ戰亂の餘響たりしが如し。縁起に随へば、堂宇の火災にあひしは幾度なりしを知らず。本堂及び傳法院等現今の堂宇は慶安年中の建築にかゝり、本堂東西十六間、南北十五間一尺六寸俗に十八間四面といふ。建坪四百五十六坪餘あり。
浅草寺の本坊は傳法院と稱し、觀音別當たり、往昔觀音院・理智楽院の稱あり、貞享二年故ありて東叡山寛永寺の管轄に歸し傳法心院と稱す。傳法院は其の略稱なり。院内に今尚比叡山延暦寺に倣ふもの。東谷に随身門にあり、南谷に風雷神門・仁王門あり。其の他北に竹門あり。西に新門あり。二門及び風雷神門は共に痕なし。
江戸時代寺領五百石あり、區内に於て給せられたり。明治維新後其の境内と共に上地を命ぜられ、六年舊境内は公園となる。淺草公園即ち是なり。舊寺領域廣く、来由沿革の尋ぬへきもの多し。(「淺草區史」より)
浅草寺所蔵の文化財
- 浅草寺二天門(日本国重要文化財)
- 浅草寺法華経10巻(日本国国宝)
- 浅草寺元版大蔵経(日本国重要文化財)
- 浅草寺六角堂(東京都指定有形文化財)
- 浅草寺縁起(東京都指定有形文化財)
- 浅草迷子しらせ石標(東京都指定有形文化財)
- 西仏板碑(東京都指定有形文化財)
- 六地蔵石灯籠(東京都指定有形文化財)
- 二天門の木像持国天像(東京都指定有形文化財)
- 二天門の木像増長天像(東京都指定有形文化財)
- 戸田茂睡墓(東京都指定有形文化財)
- 山東京伝机塚の碑(台東区登載文化財)
山東京伝机塚の碑(平成元年度登載)
山東京伝は、多数の洒落本・滑稽本を著した江戸時代の代表的な戯作者であり、また、北尾政演の画号をもつ浮世絵師としても著名な人物でした。晩年は故事古物の考証にも精力をかたむけ、文化13年(1816)9月56才で没しました。
山東京伝机塚の碑は高さ143センチ、本小松石(神奈川県真鶴産)で造られた石碑です。京伝の没後、弟の京山が造立したもので、表面には京伝が生前に著した愛用の机についての小文を刻み、裏面には京伝の友人であり、当時を代表する文化人でもあった大田南畝の撰による京伝の略伝を銘記しています。
本碑は、彼の経歴や人間性を知ることのできる第一級の資料であり、江戸文化史上でも貴重な遺品のひとつです。
浅草寺の寺中寺院
御府内寺社備考には、別当伝法院の他、衆徒12院、寺僧22ヶ院が記載されていますが、現在は24子院を擁しています。
衆徒12院
寺僧22ヶ院
- 教善院
- 正福院
- 延命院
- 正智院
- _観智院
- 長寿院
- 勝蔵院
- 善龍院
- 妙徳院
- 妙音院
- 徳応院
- 金剛院
- 吉祥院
- 泉凌院
- 遍照院
- 誠心院
- 泉蔵院
- 寿徳院
- _法善院
- 寿命院
- 覚善院
- 円乗院