岩井観音堂。浅草寺の本尊観音像がもと奉安されていた地
岩井観音堂の概要
真言宗智山派寺院の岩井観音堂は、飯能市岩淵にある観音堂で、歓喜寺が管理しています。岩井観音堂の創建年代等は不詳ながら、浅草寺の本尊観音像が約1400年前に流れ出したのが当地だと伝えられます。江戸期には岩井堂と称されており、昭和8年浅草寺執事長の尽力により、浅草寺聖観音像の分身が当地に奉還したといいます。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所63番です。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | 岩井観音堂 |
本尊 | 聖観音像 |
住所 | 飯能市岩淵746-1 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
岩井観音堂の縁起
岩井観音堂の創建年代等は不詳ながら、浅草寺の本尊観音像が約1400年前に流れ出したのが当地だと伝えられます。江戸期には岩井堂と称されており、昭和8年浅草寺執事長の尽力により、浅草寺聖観音像の分身が当地に奉還したといいます。
新編武蔵風土記稿による岩井観音堂の縁起
(岩淵村)岩井堂
成木川の南岸にて巌上に建り、堂二間四方、観音を安ず、村持なり、岩の高さ五六竹、岩下に淵あり、平水深さ一丈二三尺ばかり、その圖右の如し。(新編武蔵風土記稿より)
飯能市史資料編による岩井観音堂の縁起
浅草観音生誕地 岩井堂縁起
およそ一四〇〇年前、一人の旅僧がもたらせた観音像が嵐により転落し、成木川から浅草浦へ流れ着いた後、漁師の網で海上げされた観音像が岩井堂観音であるという口碑伝承が実を結び昭和八年九月十五日浅草観音の御分身として聖観音像が岩井堂に奉還された。
同年、海上げ祈念地である駒形堂が新築され、同時に岩井堂も同様の形式で新築された。
これは当時の浅草寺執事長清水谷恭順師(後の二十四世貫主)の尊い尽力によるものです。
そして師が口碑伝承を真摯に受け止め、浅草観音の生誕の地を尊ばれた結果であり、深い観音信仰の顕れである。
我々の遠い祖先から受け継がれてきた信仰の象徴、岩井堂観音は郷土の誇りである。(一一八会経営者会議・管理寺歓喜寺掲示より)
岩井観音堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」