照涼山来迎寺|荒川辺八十八ヶ所、荒綾八十八ヶ所、新四国四箇領八十八ヵ所
来迎寺の概要
真言宗室生寺派寺院の来迎寺は、照涼山阿弥陀院と号します。来迎寺は、建久6年(1195)に創建、江戸時代天和年間(1681-1684)に尊宥和尚が再興したといいます。荒川辺八十八ヶ所霊場40番札所、荒綾八十八ヶ所霊場58番札所、西新井組中川通四箇領八十八箇所4番札所です。
山号 | 照涼山 |
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院号 | 阿弥陀院 |
寺号 | 来迎寺 |
住所 | 足立区島根3-11-9 |
本尊 | 阿弥陀三尊 |
宗派 | 真言宗室生寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 荒川辺八十八ヶ所霊場40番札所、荒綾八十八ヶ所霊場58番札所 |
来迎寺の縁起
来迎寺は、建久6年(1195)に創建、江戸時代天和年間(1681-1684)に尊宥和尚が再興したといいます。
新編武蔵風土記稿による来迎寺の縁起
(嶋根村)来迎寺
新義真言宗、西新井村総持寺の末、照涼山と號せり、本尊三尊の阿弥陀を安す。
八幡社。地蔵堂。(新編武蔵風土記稿より)
「足立区仏教会資料」による来迎寺の縁起
当寺は建久6年に創建され、その後江戸時代天和年中、尊宥和尚によって再興されて今日に至る。往時は中本寺・西新井大師総持寺の末寺にして、近来は大和長谷寺の直末なり。また荒川辺八十八ヶ所霊場第40番、荒綾八十八ヶ所霊場第58番、新四国八十八ヶ所4番の札所なり。境内には子育地蔵堂、庚申塔数基(寛文6年など)、宝篋印塔(明和5年)、六地蔵尊、稲荷祠(明治以前は八幡小社あり)などがあり、樹齢数百年の榎と松の古木が存在する。本堂には本尊阿弥陀三尊立像のほか、不動明王・二童子立像、大日如来坐像、薬師如来立像、弘法大師坐像などが安置され、さらに十三仏像、伝持八祖画像、両界曼荼羅などを所蔵する。なお、当寺との関連寺院には、増福寺(青井2-32-8)と普門寺(島根4-16-1)とがあり、前者は江戸時代天和元年、慶龍和尚の開創にして、本尊は阿弥陀如来立像(伝空也作)なり。後者は鎌倉時代延慶年間の草創、天和年中の再興、島根村名主の菩提所にして、本尊は十一面観音立像(大阪鴻池家寄贈、伝運慶作)なり。(足立仏教会資料より)
「足立風土記資料寺院明細」による来迎寺の縁起
中本寺西新井大師総持寺門徒 東京府管轄武蔵国足立郡島根村 照林山来迎寺
創立年暦并開山不詳、寺格無之、但当住無之、東京府管轄武蔵国足立郡栗原村満願寺住職真快兼務
境内3畝10歩、但除地
檀家25軒。門末無之。庵室等無之。(足立風土記資料寺院明細より)
来迎寺の周辺図