栄福寺|千葉市若葉区大宮町にある天台宗寺院

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坂尾山栄福寺|千葉氏家臣の坂尾五郎治が創建

栄福寺の概要

天台宗寺院の栄福寺は、坂尾山無量院と号します。栄福寺は、千葉氏の家臣坂尾五郎治が、大治5年(1130)当地の西方に妙見尊を奉祀、翌年の天承元年(1131)には尊照僧正を開山導師として(真言宗)北斗山金剛授寺と称して創建、当寺の守護神として大宮権現(大宮神社)を併せて創建したといいます。寛永2年(1625)住職快運和尚が天海僧正に帰依し、天台宗寺院に改め、如意山養福寺無量院と改称、慶安2年(1649)に栄福寺と改号、昭和17年に坂尾山と改称しています。江戸期には近隣に末寺門徒寺28ヶ寺擁していた本寺格の寺院です。

栄福寺
栄福寺の概要
山号 坂尾山
院号 無量院
寺号 栄福寺
住所 千葉市若葉区大宮町3869
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



栄福寺の縁起

栄福寺は、千葉氏の家臣坂尾五郎治が、大治5年(1130)当地の西方に妙見尊を奉祀、翌年の天承元年(1131)には尊照僧正を開山導師として(真言宗)北斗山金剛授寺と称して創建、当寺の守護神として大宮権現(大宮神社)を併せて創建したといいます。寛永2年(1625)住職快運和尚が天海僧正に帰依し、天台宗寺院に改め、如意山養福寺無量院と改称、慶安2年(1649)に栄福寺と改号、昭和17年に坂尾山と改称しています。江戸期には近隣に末寺門徒寺28ヶ寺擁していた本寺格の寺院です。

「千葉市史」による栄福寺の縁起

栄福寺
天台宗延暦寺の直末寺で、本尊は阿弥陀如来である。伝えによると、大治五年(一一三〇)九月二十二日千葉氏の家臣坂尾五郎治が、現在の寺域の西方にあたる旧長峰村三角山に、千葉家の守護神妙見尊を奉祀したのが、当山の発端といわれる。五郎治は千葉家第二代常長に仕え、常長の養育に当たった人物である。
天承元年(一一三一)五月二十二日五郎治が願主となり、上坂尾に、尊照僧正を開山導師として北斗山金剛授寺(後の栄福寺)を創建している。あわせて、当寺の守護神として、大宮権現(現大宮神社)を建立している。はじめ真言宗に属し本尊は地蔵菩薩であった。寛永二年(一六二五)正月十七日当時の住職快運和尚が天海僧正に帰依し、近隣の末寺二八カ寺とともども天台宗に改宗し、如意山養福寺無量院と改称して、本尊を阿弥陀如来とした。慶安二年(一六四九)九月栄福寺と改め、昭和十七年に山号を坂尾山と改称現在に至っている。当寺の本堂に向って右側に妙見地蔵堂があって、妙見尊のほか、かつて境内の姫桜の下から出土したと伝えられる病難除地蔵尊(土中出現童子地蔵大菩薩)を祀っている。この地蔵尊は当寺の天台宗時代の本尊であろうか。今も栄福寺というより坂尾の地蔵様として広く知られている。境内には杉松の老樹のほか、桜樹が多く、花見のころは千葉の美観として歌によまれている。
寺宝には天正二年(一五七四)原式部大夫平胤栄寄進との銘文のある銅製金箔付釣燈龍。狩野探幽門人片山三清守長筆の妙見縁起絵巻四巻、(天文十九年(一五五〇)本庄伊豆守が寄進し、延宝六年(一六七八)板倉筑後守重直補綴)などがある。なお現地域は板倉筑後守の屋敷跡にあたり、附近に土塁跡がみられる。(「千葉市史」より)

「千葉縣千葉郡誌」による栄福寺の縁起

榮福寺
千城村大宮に在り。寛永二年の開基建立にして總本山延暦寺の末寺にして、本尊阿彌陀如来を安置す、堂宇間數鉢間奥行六間半なり、天臺宗教會法第九条に依り叡山教會支部報恩講社を設置し、天臺宗座主の認可を得たり(大正六年二月廿八日附届出)。境内坪數千三百十坪にして境内に佛堂一宇あり妙見堂と云ふ。境外所有地八町七反三畝二十歩を算し、檀徒人員四百五十人に及ぶ。(「千葉縣千葉郡誌」より)


栄福寺所蔵の文化財

  • 栄福寺の金銅透彫六角釣燈籠(市有形文化財)
  • 紙本著色千葉妙見大縁起絵巻(市有形文化財)
  • 木造妙見菩薩立像(市有形文化財)

栄福寺の金銅透彫六角釣燈籠と紙本著色千葉妙見大縁起絵巻

この寺は、かつては真言宗の寺院であったと伝えられており、寛永2年(1625)天台宗に改宗し如意山養福寺無量院と改め、その後慶安3年(1650)寺号を栄福寺と改め現在に至っている。
金銅透彫六角釣燈籠は総高24.3cmを測り、鍍金の銅薄板で笠・火袋・基盤をすべて鋲留めまたはさし込みで成形している。火袋は、6面とも斜め格子に九曜星文を造形し、内一面を扉仕掛けとしている。基盤の裏面に、千葉氏の一族である平胤栄によりこの釣燈籠が天正2年(1574)の妙見堂に寄進されたという陰刻銘がある。紙本著色千葉妙見大縁起絵巻は、上・下2巻にまとめられており、千葉氏が妙見尊の御加護によって数度に及ぶ合戦に勝利した様子を描いており、美しい彩色画と文字により構成された絵物語の秀作である。その他に、秘仏のため未公開だが胎内の墨書銘により天正4年(1576)の作とわかる木造妙見菩薩立像(市有形文化財)がある。(千葉市教育委員会掲示より)

栄福寺の周辺図


参考資料

  • 「千葉縣千葉郡誌」

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