正光寺|佐倉市畔田にある真言宗豊山派寺院

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谷津山正光寺|市指定文化財の薬師如来像

正光寺の概要

佐倉市畔田にある真言宗豊山派寺院の正光寺は、谷津山と号します。正光寺は、貞治年間(1362-1368)に字坊谷津に創建、その後天保4年(1833)当地へ移転したと伝えられます。境内薬師堂は、延文3年(1358)に創建、薬師如来像は鎌倉~室町期の作と推定され、佐倉市有形文化財に指定されています。境内大師堂は、六崎組十善講45番(正光寺分)、千葉寺十善講八十八所60番(薬師堂分)です。

正光寺
正光寺の概要
山号 谷津山
院号 -
寺号 正光寺
住所 佐倉市畔田400-1
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



正光寺の縁起

正光寺は、貞治年間(1362-1368)に字坊谷津に創建、その後天保4年(1833)当地へ移転したと伝えられます。境内薬師堂は、延文3年(1358)に創建、薬師如来像は鎌倉~室町期の作と推定され、佐倉市有形文化財に指定されています。

「印旛郡誌」による正光寺の縁起

正光寺
畔田區字台口にあり大聖寺の末寺にして阿彌陀如来を本尊とし眞言宗に屬す貞治年中字坊谷津へ建立因て字を山號とす其後天保四年字台口へ移轉すと古老の口碑に傳ふ堂宇間口六間半奥行六間庫裏間口四間三尺奥行六間門高九尺三寸幅九尺あり境内は六百三十坪(民有地第一種)檀徒三百九十二人にして管轄廳まで三里十八町十六間あり境内佛堂二宇あり即
一、大師堂 弘法大師を本尊とす寛永三年十月二十一日字坊谷津へ建立す其後天保五年三月字台口現今境内へ轉堂す建物間口四間奥行五尺
二、不動堂 不動明王を本尊とす觀應二年八月の建立にして建物間口二尺奥行二尺(寺院明細帳)
以上の諸寺は毎年一回八月に於て施餓鬼を催し祖先の爲に法要を營むを例とす
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薬師堂
畔田區台口正光寺持佛堂にして眞言宗たり薬師如来を本尊とし(但石佛)延文三年三月八日の建立なり堂宇間口三間奥行三間境内七十五坪(官有地第三種)あり住職は正光寺住職粟飯原泰山之を兼務し檀徒三百九十人を有し管轄廳まで三里十八町十六間なり境内佛堂一宇あり即
一、大師堂 弘法大師を本尊とす寛政二年四月八日の創立にして建物は間口三尺奥行四尺なり(佛堂明細帳)(「印旛郡誌」より)

「佐倉市史」による正光寺の縁起

正光寺(畔田)
真言宗で大聖院末(旧)、本尊阿弥陀如来。境内地はもと字坊谷津にあったが、天保四年、今の台口に移転したと伝えられる。当寺の境外仏堂である薬師堂に安置されていた薬師如来であるが、高さ一米〇七の立像寄木造で鎌倉期から室町への移行期の特徴を示している(郡司幹雄・中地昭男調査)ものである。市文化財指定。この仏像から推定すると一四世紀には建立されていたものといえよう。
なお当地からは製鉄の遺蹟を物語るカナクソが各所から出、この地が印旛沼に注ぐ小竹川の上流部に位置し早く開発されていたものと考えられる。(「佐倉市史」より)


正光寺所蔵の文化財

  • 木造薬師如来立像

木造薬師如来立像

正光寺薬師堂には木造薬師如来立像が安置されています。
この仏像は、檜材寄木造で漆箔が施され、高さ一〇五cmの像です。製作年代については、衣文や全体の姿形からして室町時代の作と推定されますが、ふっくらとした頬や胸部の厚み等に鎌倉時代の様式を残しています。
この像の特色は頭髪にあり、渦紋状をしています。これと類似する仏像には、寺崎の密蔵院薬師如来像、臼井台の実蔵院阿弥陀如来像などがあり、同じ系統の仏師の作と考えられます。
全体にいたみが激しく、肉髻珠と白毫、両手先、持物の薬壺、光背、台座は近年後補したものです。(佐倉市教育委員会掲示より)

正光寺の周辺図


参考資料

  • 「印旛郡誌」
  • 「佐倉市史」