開徳稲荷|千代田区神田神保町の神社
開徳稲荷の概要
開徳稲荷は、千代田区神田神保町にある稲荷神社です。開徳稲荷の創建年代等は不詳ながら、元はある家の屋敷神であったと伝えられ、家主が他地へ移転した後、近隣の有志で護持してきたといいます。
社号 | 開徳稲荷 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 千代田区神田神保町2-14 |
備考 | - |
開徳稲荷の由緒
開徳稲荷の創建年代等は不詳ながら、元はある家の屋敷神であったと伝えられ、家主が他地へ移転した後、近隣の有志で護持してきたといいます。
「千代田の稲荷」による開徳稲荷の由緒
開徳稲荷神社は、もともとある家の屋敷神であったと伝えられている。明治から大正にかけて、当時このあたりにあった屋敷の庭に遷座していた稲荷社で、関東大震災で焼失したが家主によって再建、地元の人々からも信仰されていた。しかし戦災に遭って再び社殿が焼失。家主も他地に転居し、その後しばらくは信仰が途絶えたが、近隣に住む人々の要望によって地域の守護神として再建された。
再建当時、近隣に住む有志たちが居住する番地にちなんで、「十四会」(トシカイ)を結成して維持・管理にあたり、その時分は、初午に三崎稲荷神社から神職を招いて神事を行なっていた。白山通り近くの商店が並ぶ地域であったが、土地開発などの影響もあり、十四会に所属する住人も転居していったことから、会は自然消滅してしまった。現在では個々で社の整備や参拝をしている。(「千代田の稲荷」より)
開徳稲荷の周辺図
参考資料
- 「千代田の稲荷」