麹町太田姫稲荷神社|千代田区麹町の神社
麹町太田姫稲荷神社の概要
麹町太田姫稲荷神社は、千代田区麹町にある神社です。麹町太田姫稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、駿河台太田姫稲荷神社の分社と思われ、麹町地域における病気平癒祈願に崇敬されてきたのではないかといいます。関東大震災で被災してから終戦までは麹町二丁目に鎮座、昭和47年に当地へ遷座、麹町太田姫稲荷神社保存会が結成され、保存会が護持しています。
社号 | 麹町太田姫稲荷神社 |
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祭神 | 倉魂稲命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 千代田区麹町1-5-4 |
備考 | - |
麹町太田姫稲荷神社の由緒
麹町太田姫稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、駿河台太田姫稲荷神社の分社と思われ、麹町地域における病気平癒祈願に崇敬されてきたのではないかといいます。関東大震災で被災してから終戦までは麹町二丁目に鎮座、昭和47年に当地へ遷座、麹町太田姫稲荷神社保存会が結成され、保存会が護持しています。
境内掲示による麹町太田姫稲荷神社の由緒
当神社は、駿河台太田姫稲荷神社の分社と思われますが、両社の伝説も共通のものがありますので左記に記します。
伝説によれば、室町時代太田道灌の姫が当時流行した天然痘を病み、薬石効なく一日一日と悪化の道をたどりつつあったとき、友人に「山城国一口の里にある稲荷神社に祈願しなさい。どんな思い天然痘でも忽ち平癒するから」と言われ、道灌は早速同神社に参詣祈願、帰国すると姫の病は忽ち平癒した。江戸築城のとき道灌は崇敬、感謝の念で一口稲荷を伏見より勧請、江戸城内にお祀りした。時は長禄元年(1457)の頃であったと言われます。
後、徳川家康・江戸入府、慶長11年(1606)江戸城改築の際、城内にあった神社、仏閣を城外に移したが、太田姫稲荷神社も駿河台の淡路坂(一口坂=いもあらいざか)上に遷座され、その後変遷を経て現在の地に鎮座しております。
一口坂は「いもあらい坂」と言われており、九段の一口坂、神田一口坂、昌平橋(いもあらいばし)などがあります。いもあらい(一口)の意味は、当時天然痘を「いもがさ又はへも」とも呼ばれたので、「天然痘を洗い流して治す」からきたものと解釈されています。
現今は、病気平癒、商売繁盛の神として崇敬されております。(平成6年5月20日祭祀再開20年を記念して建立、麹町太田姫稲荷神社)
「千代田の稲荷」による麹町太田姫稲荷神社の由緒
麹町太田姫稲荷神社は、千代田区神田駿河台に所在する太田姫稲荷神社の分社と伝えられているが、具体的な関係や草創の経緯は不明である。しかし、疱瘡に関わる霊験が伝えられる太田姫稲荷神社と同社名であるということから、麹町地域における疱瘡などの病気平癒祈願の対象でもあったと考えられる。
当社は関東大震災で被害を受けて再建してから戦前までは現・麹町二丁目に所在していて、当時近隣で営業していた洋菓子店・村上開新堂が中心となって祭祀していたと伝えられている。しかし戦災により社殿が焼失、その後再建したが、昭和四〇年ごろに村上開新堂が一番町に移転したことなどから、一時的に信仰は途絶えていた。昭和四七年、現在地付近(ライオンズマンション敷地内)に神社を移転して、麹町太田姫稲荷神社保存会を結成した。それ以降、毎年祭礼が行われることになった。昭和五七年、マンション竣工にあたり、現在地へ移動。現在では、地域の守護神、病気平癒、商売繁盛の神として信仰されている。毎年五月の午の日を祭日として、平河天満宮から神職を招いて神事が行なわれる。当日は町会関係者や近隣の町会長など約二〇~三〇人が参列する。(「千代田の稲荷」)
麹町太田姫稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「千代田の稲荷」