講武稲荷神社|安政4年(1857)の鎮座
講武稲荷神社の概要
講武稲荷神社は、安政4年(1857)の鎮座で、運慶作と伝えられる神体を祀っています。当所は講武所付属地で払下げを受け旅籠町3丁目と称していました。
社号 | 講武稲荷神社 |
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祭神 | 宇之御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 金比羅宮、秋葉大神、明徳稲荷、福寿神 |
住所 | 千代田区外神田1-9-2 |
備考 | - |
講武稲荷神社の由緒
講武稲荷神社は、安政4年(1857)の鎮座で、運慶作と伝えられる神体を祀っています。当所は講武所付属地で払下げを受け旅籠町3丁目と称していました。
当社は旅籠町3丁目にあり、安政4年の鎮座にして神体は宇之御魂命なり。一説に運慶作なりと伝ふ。昔時大貫伝兵衛なるもの当講武所付属地の払下を出願し其の許可を得んが為め浅草橋場なる長昌寺に安置せる此稲荷神社に参詣し、祈念怠ざりしかば遂に安政3年5月22日を以って払下げ免許となりたる由。これが為翌年社祠を造営し其の本体を橋場より本社に移したるを以って創始としている。尚毎年5月22日を大祭日としている。
尚段の社域は大正12年の震災の際焼失せるも其後区画整理により現在地に安置せられたり。一般に火伏せの神なりと其の霊の灼さを伝へられ更に此の火伏護神と共に花街の繁盛に貢献顕著だと伝ふので近隣の三業関係人は勿論遠く向島辺から参詣人が多く時ならぬ賑かさも有りと申されて居る。(外神田旅籠町会掲示より)
講武稲荷神社の周辺図