豊潤稲荷|千代田区神田須田町の神社
豊潤稲荷の概要
豊潤稲荷は、千代田区神田須田町にある稲荷神社です。豊潤稲荷は、内宮・内陣に保管されていた題目書付から、日蓮宗を信仰した人々が中心となり、大正6年12月22日に勧請したといいます。町会の人達により護持され、現在は須田町中部町会により護持されています。
社号 | 豊潤稲荷 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 毎年二月初午近くの日曜日 |
住所 | 千代田区神田須田町1-8 |
備考 | - |
豊潤稲荷の由緒
豊潤稲荷は、内宮・内陣に保管されていた題目書付から、日蓮宗を信仰した人々が中心となり、大正6年12月22日に勧請したといいます。町会の人達により護持され、現在は須田町中部町会により護持されています。
「千代田の稲荷」による豊潤稲荷の由緒
豊潤稲荷神社は、これまでは関東大震災で社殿が焼失し、昭和五年(一九三〇) に神田市場関係者を中心に再建されたということが伝えられてきたが、平成一七年の社殿移転時に内宮・内陣より「南無妙法蓮華経」「大正六年十二月二十二日」などと書かれた題目書付と「稲荷山」と書かれた軸が発見されたことやその後の調査から、大正六年十二月二十二日に勧請された稲荷であるということが判明した。関係者によれば、大正から昭和初期くらいまではこの近辺で日蓮宗を信仰していた人が複数いたといい、その関係は明確ではないが、当時交流のあった宗教者たちが何らかのかたちで稲荷の勧請に関わっていたのかもしれない。また一説には、この近辺の大きな商家に祀られていた稲荷社が震災で焼失したため、当社に合祀したとも伝えられている。
須田町中部町会(神田須田町一丁目の一部)は、江戸時代から神田市場が開かれ、関係者が多く住んだ地域であった。関東大震災で市場が焼けてからは、昭和三~一〇年までの間に市場は完全に秋葉原に移転したが、それでも豊潤稲荷は町会に残った人々を中心に、また転居した人々からも信仰を集めていた。
戦災の被害は免れたが、平成に入り社殿の老朽化が進んだため、平成四年に鳥居・玉垣、同七年に社殿の修復を行ない、還御遷座祭が行なわれた。しかし、平成一五年より現在地のマンション建て替えに伴って、以前より通り側にせり出すような配置となったため、再び社殿を移動、造営し直すことになった。新社殿は平成一八年五月に完成し、社殿落成式と遷座祭が行なわれた。現在は毎年二月初午近くの日曜日に祭礼をしているが、節分前になる場合は調整している。当日は神田神社から神職を招いて神事が行われ、町会関係者など約三〇~四〇人が参列する。また賽銭泥棒に悩まされた時期があり、平成七年に「賽銭チケット」を考案して一枚一〇〇円・一〇枚綴りで販売したことがあった。参拝者はそれを購入して、チケットを賽銭箱に入れるというシステムであったが、その煩雑さから平成一二年に廃止された。現在は社殿が表通りに面して建てられており、町会関係者の目も行き届くようになり、防犯対策を徹底している。(「千代田の稲荷」より)
豊潤稲荷の周辺図
参考資料
- 「千代田の稲荷」