有楽稲荷神社|安政6年(1859)の鎮座
有楽稲荷神社の概要
有楽稲荷神社は、千代田区有楽町にある神社です。有楽稲荷神社は、永井飛騨守が安政6年(1859)に邸内鎮守として創建、関東大震災にも災害を免れたといいます。有楽町電気ビルヂングが所有・管理している稲荷神社です。
社号 | 有楽稲荷神社 |
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祭神 | 宇之御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 千代田区有楽町1-9-2 |
備考 | - |
有楽稲荷神社の由緒
有楽稲荷神社は、永井飛騨守が安政6年(1859)に邸内鎮守として創建、関東大震災にも災害を免れたといいます。有楽町電気ビルヂングが所有・管理している稲荷神社です。
境内掲示による有楽稲荷神社の由緒
有楽稲荷神社由来記
当社は永井飛騨守が天下泰平と子孫繁栄を祈念して安政六年に創立したものであります。
社の傍にある手洗鉢は萬延元庚申年八月に、駒野四郎兵衛藤原里知、佐竹源治義道、千葉修二平宗克、土屋多蔵源昌大、小川岩蔵源富行、谷本重藤原長徳、井口岩五郎平貞正、清水量蔵藤原吉利の八名が奉納した銘があり、当時から非常に信仰が篤買ったことが偲ばれます。明治維新後は町制の変革によって稲荷神社もわずかにその跡形を止めるばかりでしたが、明治四十一年東京市電気局有楽町変電所が設けられたとき、祠堂も改修して町内氏子と共にお祀りして来ました。
大正十二年九月一日の関東大震災の際にも周囲はみな延焼したにも拘らず、独り当地は災害を免れました。
昭和八年一月変電所の復興を機会に盛大な鎮座祭を行なって以来、毎年二月初午には大祭を執り行なっております。
昭和四十八年九月、有楽町電気ビルの新築に伴い一時、赤坂山王日枝神社に遷座されましたが、昭和五十四年二月、再びこの地に復座いたしました。
ここに、その由緒の概略を述べ伝える所以であります。
昭和五十四年二月(境内掲示より)
「千代田の稲荷」による有楽稲荷神社の由緒
当社の由来は現地説明板によると、永井飛騨守が屋敷神として天下泰平と子孫繁栄を祈念して安政六年(一八五九)に建立したものと伝えている。維新後も同地に置かれていたようであるが、明治四一年(一九〇八)、「東京市電気局有楽町変電所」の建設とともに祠堂が改修された。
大正一二年九月一日の関東大震災の際には、周囲はみな延焼したが、この祠堂だけは災害を免れたということから、火伏の御利益もあると伝えられる。昭和八年一月、変電所の復興を機に盛大な鎮座祭を行なって以来、毎年二月初午には祭礼を実施している。昭和四八年九月、有楽町電気ピルの新築に伴って山王日枝神社本殿に一時仮遷座、昭和五四年二月、再びこの地に遷座した。
毎年二月初午には、日枝神社から神職を招いて祭礼が行なわれる。有楽町電気ピルヂングの関係者が主体となるが、町会の年中行事としても組み込まれており、町会関係者も大勢参列する。(「千代田の稲荷」より)
有楽稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「千代田の稲荷」