東亜高等予備学校跡|千代田区神田神保町の名所旧跡

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東亜高等予備学校跡|周恩来が留学した学校跡

東亜高等予備学校跡の概要

東亜高等予備学校跡は、千代田区神田神保町にある史跡です。東亜高等予備学校跡は、大正3年に松本亀次郎氏が設立した東亜高等予備学校の跡地です。東亜高等予備学校は中国人の教育に尽力、大正6年には周恩来も東亜高等予備学校に入学したといいます。学校は大正14年には財団法人日華学会へ移譲されますが、周恩来は昭和24年に中華人民共和国を建国、昭和51年に死去するまで首相を務め、日中平和条約を締結した偉人であることから、周恩来が学んだことを示す記念碑を周総理生誕100年にあたる1998年に建立したといいます。

東亜高等予備学校跡
東亜高等予備学校跡の概要
名称 東亜高等予備学校跡
みどころ 史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 千代田区神田神保町2-20神保町愛全公演
備考 -




東亜高等予備学校跡の由緒

東亜高等予備学校跡は、大正3年に松本亀次郎氏が設立した東亜高等予備学校の跡地です。東亜高等予備学校は中国人の教育に尽力、大正6年には周恩来も東亜高等予備学校に入学したといいます。学校は大正14年には財団法人日華学会へ移譲されますが、周恩来は昭和24年に中華人民共和国を建国、昭和51年に死去するまで首相を務め、日中平和条約を締結した偉人であることから、周恩来が学んだことを示す記念碑を周総理生誕100年にあたる1998年に建立したといいます。

境内掲示による東亜高等予備学校跡について

周恩来ここに学ぶ
東亜高等予備学校跡
日中両国の人々が敬愛する周恩来総理は、1898年3月5日江蘇省准安に生まれました。周総理は1917年(大正6年)に19歳で日本に留学、この地(当寺は神田区中猿楽町)にあった東亜高等予備学校(設立者・初代校長=松本亀次郎)で日本語を学び、大学進学の指導を受けました。そのころ、日本政府の対中国政策に反対した松本亀次郎校長の心情にも影響を受け、1919年(大正8年)には帰国して天心の南開大学に学び、新中国の建設に身を投じました。
周総理生誕100年・日中平和友好条約締結20周年にあたり、東亜高等予備学校の跡地であるこの場所に、周恩来が学んだことを示す記念碑を、千代田区の歴史の一コマとして建立します。日中友好の気持ちをこめて・・・。(千代田区日中友好協会掲示より)


東亜高等予備学校跡の周辺図