宝童稲荷神社|中央区銀座の神社
宝童稲荷神社の概要
宝童稲荷神社は、中央区銀座にある稲荷神社です。宝童稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代中期に江戸城内に仕えていた弥左衛門が、隠居後当地に屋敷を拝領し居住、江戸城内紅葉山に祀られていた宝童稲荷大明神を勧請して祀ったといいます。当地は弥左衛門町と称されるようになり、弥左衛門は当地草分けの名主となったそうです。
社号 | 宝童稲荷神社 |
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祭神 | 豊受大明神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 中央区銀座4-3-2 |
備考 | - |
宝童稲荷神社の由緒
宝童稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代中期に江戸城内に仕えていた弥左衛門が、隠居後当地に屋敷を拝領し居住、江戸城内紅葉山に祀られていた宝童稲荷大明神を勧請して祀ったといいます。当地は弥左衛門町と称されるようになり、弥左衛門は当地草分けの名主となったそうです。
「日本橋・京橋地区(現東京都中央区)に所在する全神社の由来に関する実地調査」による宝童稲荷神社の由緒
この辺は徳川中期頃より弥左衛門町と称せられていた。弥左衛門とは江戸城内に仕えた侍で功成り蔵老いてこの地に屋敷を賜り居住したことにより地名となり、草分けの名主となったと伝えられている。
町内に宝童稲荷の社あり、いわれは歴代将軍の子孫が夭逝するところより江戸城内紅葉山に稲荷を祀り(祭神豊受大明神)宝童稲荷大明神と称して子育ての祈願が行われたという。弥左衛門は宝童稲荷の御神霊をこの地に分け祀ることを願い許されて町内の氏神として祀り子育て、火伏せ、縁結び、開運の神として信仰を集めた。
この町内は地方諸大名が参勤交代の長道中で損じたつづら等具足の修理や売る店が軒を並べていた由、つづら屋は昭和三十三年頃まであった。
又明治詩人北村透谷がこの地に住み、井戸あり、水清く、水量豊かで「透谷筆洗いの井戸」として昭和三十三年頃まで存在した。(並木通り中央付近)(「日本橋・京橋地区(現東京都中央区)に所在する全神社の由来に関する実地調査」より)
宝童稲荷神社の周辺図