日比谷稲荷神社|旧地名日比谷に因んだ名称
日比谷稲荷神社の概要
日比谷稲荷神社は、中央区八丁堀にある稲荷神社です。日比谷稲荷神社の創建年代等は不詳ですが、当地(八丁堀)に社地を拝領して当社を勧請した際に、旧地名日比谷に因み日比谷稲荷と称したといいます。
社号 | 日比谷稲荷神社 |
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祭神 | 稲倉魂神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 中央区八丁堀3-28-15 |
備考 | - |
日比谷稲荷神社の由緒
日比谷稲荷神社の創建年代等は不詳ですが、当地(八丁堀)に社地を拝領して当社を勧請した際に、旧地名日比谷に因み日比谷稲荷と称したといいます。
東京名所図会による日比谷稲荷神社の由緒
日比谷神社
日比谷神社は。日比谷河岸二十二號地に在り。祭神は稲倉魂神にて。日比谷町の鎮守たり。
當社は初め八丁堀に於て一丁四方の地を賜る。因て舊地名を表し日比谷稲荷と稱せり。其の後年寄名主より寺社奉行町奉行に請願して。社地を一丁とし。其の地を日比谷町と稱す。而して其の地租を以て修繕費に充たり。寛延三年に至り。社地を減縮して纔かに二十六坪二合五夕とせらる。什器并に舊書類は。大抵文政十二年三月廿一日火災に罹りて焼失せりといふ。
方今は舟橋久治氏社守として。社務所に常住し。日枝神社禰宜千勝季孝氏祭務を兼勤せり。祭典は毎年六月十五日日枝神社と同日に執行するを例とす。當社には鯖をたちて祈願するよしにて。多く鯖を画きたる扁額を掛け陳ねたり。
當社の神像は甚だ古く。建久年間の作に係るよし。太田道灌之を地中より堀得たるものなりとて。其の真筆の縁起書ありといふ。岩井一氏刻して社堂に掲けたり。其の文左の如し。
余康正二丙子歳欲築城郭於武蔵國豊島郡千代田村。曾夜夢一老翁来告。余早起創土工。埋凹坦凸。而有一尊像之突出。余有感霊夢。輙盥喇拝謝焉。像者青銅左手携稲穂。背後年號作者備矣。於是余建一祠崇敬祈願。衆庶詣者毎夜接踵。皆驚其奇應。記而以為念云爾。
長禄二戊寅歳二月、大田持資入道道灌
右太田持資入道之真蹟。而當社務所之寳物也。今憂蟲害破損。刻之額面。
明治三十年 総代岩井一。(東京名所図会より)
日比谷稲荷神社の周辺図