八丁堀天祖神社|伊勢長官出口市正が建立
八丁堀天祖神社の概要
八丁堀天祖神社は、中央区八丁堀にある天祖神社です。八丁堀天祖神社は、伊勢長官出口市正が寛永元年(1624)寺社奉行に願い出て、日本橋通3丁目に建立、寛永10年(1634)に御用地となったことから当地(八丁堀松屋町)へ遷座したといいます。
社号 | 天祖神社 |
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祭神 | 伊佐波登美命、王柱屋姫命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 中央区八丁堀3-6-6 |
備考 | 八丁堀3丁目西町会事務所併設 |
八丁堀天祖神社の由緒
八丁堀天祖神社は、伊勢長官出口市正が寛永元年(1624)寺社奉行に願い出て、日本橋通3丁目に建立、寛永10年(1634)に御用地となったことから当地(八丁堀松屋町)へ遷座したといいます。
「中央区史」による八丁堀天祖神社の由緒
今村某が幸町に奉斎したもので、明治六年一月十七日枝神社神職の兼務となる。(「中央区史」より)
東京都神社名鑑による八丁堀天祖神社の由緒
寛永元年(一六二四)神宮別宮伊雑宮を、伊勢長官出口市之正が、江戸日本橋道三丁目に奉斎するにはじまる。寛永十年(一六三三)八丁堀松屋町に替地三百坪および門前地をもって幕府の命により遷座する。当時は氏子五力町にて、御縁日には周辺地町にもおよぶ賑わいであった(宝暦元年二月、名主長滞次郎太郎記、『伊雑大神宮御縁起』より)。関東大震災まで、毎月二十六日を縁日とし、八丁堀一円、本所深川よりも詣でる者多く賑わう。ひるがえって幕末より明治初期にわたり、衰頽はなはだしく、鎮座地も私有地となり現在に至る。(東京都神社名鑑より)
境内石碑による八丁堀天祖神社の由緒
御賜座350年の喜辰に当たり御神徳の灼然なるを悦び畏み奉り大神様の大神運に封し崇敬の念を捧げて奉祝の御祭儀を盛大に執行し御遷座の経緯を記して子々孫々に伝ふ。昭和58年11月吉日
伊勢大神宮御由緒
御祭神 伊佐波登美命、王柱屋姫命
志摩国答忌郡伊雅村ニ鎮座セル天照大神宮ノ別宮ヲ伊勢長官出口市正ト云者近衛公ノ御内命ヲ蒙リ寛永元年5月上旬東ヘ下リ寺社奉行ヘ願出、武蔵国豊島郡江戸日本橋通3丁目ヘ間口10間奥行12間社地ヲ賜リ間口3間奥行5間ノ御社建立シテ御祀リ申上候其後寛永10年6月下旬公儀ヨリ社地御入用ノ趣キ寺社奉行ヨリ被仰渡八丁堀松屋町ヲ代地トシテ社地310坪賜リ舊社ヲ取崩シ松屋町ヘ再建シテ御遷宮申上候。 氏子ハ松屋町岡崎町長澤町元島町仲町ノ5ヶ町トス。
右御由緒如此御座候恐惶謹言(宝暦元年2月吉日)(境内掲示石碑より)
八丁堀天祖神社の周辺図