元徳稲荷神社綱敷天満神社|中央区日本橋浜町の神社

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元徳稲荷神社綱敷天満神社|中央区日本橋浜町

元徳稲荷神社綱敷天満神社の概要

元徳稲荷神社綱敷天満神社は、中央区日本橋浜町にある神社です。元徳稲荷神社綱敷天満神社は、元徳稲荷神社に同町内にあった綱敷天満神社を合社しました。元徳稲荷神社は、当地に屋敷のあった細川公が、墨田区立川3丁目の三ッ目通り三ノ橋の袂にある元徳稲荷神社の分霊を懇請して建立したといいます。

元徳稲荷神社綱敷天満神社
元徳稲荷神社綱敷天満神社の概要
社号 元徳稲荷神社綱敷天満神社
祭神 宇迦之御魂神
相殿 -
境内社 綱敷天満神社
住所 中央区日本橋浜町2-3-5
備考 浜町二丁目西部町会併設



元徳稲荷神社綱敷天満神社の由緒

元徳稲荷神社綱敷天満神社は、元徳稲荷神社に同町内にあった綱敷天満神社を合社しました。元徳稲荷神社は、当地に屋敷のあった細川公が、墨田区立川3丁目の三ッ目通り三ノ橋の袂にある元徳稲荷神社の分霊を懇請して建立したといいます。

元徳稲荷神社の由緒

元徳稲荷神社と綱敷天満神社の由来記
江戸時代上期1500石を領した川村徳エ門が伊勢神宮の外宮、豊受大神宮より分け御霊を受け、小石川の自分の屋敷内に祀った。後に屋敷替えとなり今の墨田区立川3丁目の三ッ目通り三ノ橋の袂に遷宮して一般市民の参拝が出来るように開放しました。豊受大神宮は瑞穂の神として国魂の神になって居たので庶民が豊作をもたらす神として祀る場合は稲荷神社の神名で祀るようになったようです。
川村徳エ門が再度屋敷替えをした跡に民家が建ち、この町を「元徳エ門町」といい、稲荷神社は元徳稲荷神社と名づけられました。
細川公という大名屋敷が今の浜町二丁目西部町会(以前は元徳町会と呼ばれていた)内にあり、細川公が懇請して元徳稲荷神社の分け御霊を受けて祀ったのが、元徳稲荷神社の由来であります。
元徳稲荷神社に、同じ町内に祀ってあった学問の神である天神様(綱敷天満神社)を合社いたしました。
進学の神、産業、商売繁盛、火伏せの神としてのご利益も伝えられています。(中央区神社案内より)


元徳稲荷神社綱敷天満神社の周辺図