大廣神社|中央区日本橋浜町の神社

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大廣神社|大橋稲荷神社に末広稲荷神社を合祀

大廣神社の概要

大廣神社は、中央区日本橋浜町にある神社です。当地は、大橋稲荷神社に、末広稲荷神社を昭和42年に合祀、大廣神社を改称したといいます。大橋稲荷神社は、元禄6年に新大橋を架設する際に安全の鎮守として創祀、明治維新後に当地へ遷座したといいます。

大廣神社
大廣神社の概要
社号 大廣神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
住所 中央区日本橋浜町3-30-6
備考 -



大廣神社の由緒

当地は、大橋稲荷神社に、末広稲荷神社を昭和42年に合祀、大廣神社を改称したといいます。大橋稲荷神社は、元禄6年に新大橋を架設する際に安全の鎮守として創祀、明治維新後に当地へ遷座したといいます。

「東京名所図会」による大橋稲荷神社の由緒

大橋稲荷神社は。濱町二丁目十八番地に在り。無格社にして。祭神は倉稲魂命の一座なり。薬研掘琴比羅神社社掌菊川流雪氏之を兼帯す。當社の書類は。寶暦拾年十一月及ひ寛政九年十一月兩次の火災に罹り。悉皆烏有に歸したれば。其の縁由を詳かにするを得ず。之を口碑に徴すれは。元禄六年七月新大橋を架設するの際。其の安全の鎮守として。其の傍に建置し。總て幕府の取扱たりしが。文久三年に至り。町方に引渡されしと云。明治以後新大橋架換の際之を毀ち。其の後當地に移して再建せり。(東京都神社名鑑より)


「東京名所図会」による末広稲荷神社の由緒

末廣稲荷神社は。蠣殻町二丁目廿九番地に在り。社務所に就て其の傳記を尋ねしに。山本知次君より之を寄稿せられたれば。左に掲載す。
東海の鎮守末廣稲荷の社に鎮り座す大神の御名は。掛巻くもあやに畏を。
宇賀之魂神
大国主神
少彦名神
須佐之男神
大宮比賣神
五柱の大神に座まして。此の邊り葭の原なりし時より御社ありて。勧請の年月日は詳かならざれども。元和元年丁卯正月大将軍従一位徳川家康公の命に因りて。山本院實行なるもの駿河國より此地へ移りて。御社に奉仕し。御神事怠慢なし。されば彌ますますに御神徳輝き。元和三年に至り。御社の四境の外を開拓して。吉原と名つけ。江戸町京町伏見町といふ遊女家として賑ふ所となり。其後遊女の町家を浅草へ移し新吉原といふ。跡は住吉町、浪華町、高砂町、和泉町と名もあらたまり。大川の岸まで皆御社の産子なり。昔は火消役關伊織、青山鐵之助、青柳勘四郎、鈴木伊勢守、寺社奉行青山因幡守、町奉行小田伊豆守、能勢肥後守等。當時當時の祭祀に仕へ奉りてありける。明治七年十月四日東京府知事大久保一翁殿。當社の氏子四ヶ所願の趣御聞召に相成候なり。あなかしこ。
但往古吉原廓内に三浦屋四郎左衛門抱遊女高雄太夫と申者鎮守へ心願を籠め。利益を受候に付。右為御禮獅子一對奉納致し。今以保存有之候。(東京都神社名鑑より)

大廣神社の周辺図