鳥居稲荷神社|中央区日本橋兜町の神社

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鳥居稲荷神社|鳥居丹波守忠瞭の上屋敷内に創建

鳥居稲荷神社の概要

鳥居稲荷神社は、中央区日本橋兜町にある稲荷神社です。鳥居稲荷神社は、享保2年(1717)当時この地にあった鳥居丹波守忠瞭(下野壬生藩主)の上屋敷内に祀られていたといいます。享保6年(1721)の大火により、鳥居丹波守忠瞭(下野壬生藩主)の上屋敷は移転したものの、新たに神田塗師町・新銀町・松下町から引き移ってきた人々によって神社が維持されてきたといいます。

鳥居稲荷神社
鳥居稲荷神社の概要
社号 鳥居稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 豊受姫神
境内社 -
住所 中央区日本橋兜町20-2
備考 -



鳥居稲荷神社の由緒

鳥居稲荷神社は、東京市史稿によると、享保2年(1717)当時この地にあった鳥居丹波守忠瞭(下野壬生藩主)の上屋敷内に祀られていたといいます。享保6年(1721)の大火により、鳥居丹波守忠瞭(下野壬生藩主)の上屋敷は移転したものの、新たに神田塗師町・新銀町・松下町から引き移ってきた人々によって神社が維持されてきたといいます。

境内掲示による鳥居稲荷神社の由緒

当神社の祭神は倉稲魂命を主神に豊受姫神が合祀されていますが、鎮座の年代は不詳です。
東京市史稿によれば享保2年(1717)この地に鳥居丹波守忠瞭(下野壬生藩主)の上屋敷があり神社はその庭中に祀られ代々厚く信仰されていました。
享保6年(1721)の大火により類焼し跡地は神田塗師町・新銀町・松下町の代地として町屋街となりました。この三ヶ町から引き移った人々も当社の奇瑞多く、かつ神徳顕著なことを聞き共に力を合わせ社殿を造営し、鳥居家の邸内に鎮座されていたことに因って鳥居稲荷神社と崇め維持・営繕・祭典などに力を尽くしました。
昭和20年3月10日の空襲で社殿を焼失、昭和28年8月宗教法人として登記、昭和44年3月町内有志の尽力により鳥居稲荷神社崇敬会を発足し、昭和52年社殿を改築、現在に至っております。
なお隔月に月次祭、毎年1月1日に元旦祭、5月15日頃には例大祭が行われています。(宗教法人鳥居稲荷神社・崇敬会掲示より)

「中央区史」による鳥居稲荷神社の由緒

もと鳥居丹波守邸内に勧請したものという。氏子は町内七五戸。(「中央区史」より)

東京都神社名鑑による鳥居稲荷神社の由緒

徳川初期この地は鳥居強右衛門の邸宅。その庭中に祀られ、代々厚く信仰された。享保年間(一七一六-三六)、鳥居邸焼失し社殿に延焼する。社地は、火災後神田新銀町・塗師町・松下町の代地となり、町家街となった。その町人により社殿は造営され、明治五年、三代町の町名起こるまで変わることなく神事ことに賑わいをみせた。大正十四年区画整理に伴い、兜町三丁目と改称されるも、この地の守護神として祀られている。(東京都神社名鑑より)


鳥居稲荷神社の周辺図