明徳稲荷神社|産千代稲荷社を合祀
明徳稲荷神社の概要
明徳稲荷神社は、中央区日本橋茅場町にある稲荷神社です。明徳稲荷神社の創建年代は不詳ですが、元禄年間(1688-1704)には茅場町交差点に祀られていたといい、関東大震災後の区画整理により当地へ遷座、昭和5年産千代稲荷社を合祀したといいます。
社号 | 明徳稲荷神社 |
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祭神 | 宇気母智神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 中央区日本橋茅場町1-6-16日枝神社日本橋摂社内 |
備考 | - |
明徳稲荷神社の由緒
明徳稲荷神社の創建年代は不詳ですが、元禄年間(1688-1704)には茅場町交差点に祀られていたといい、関東大震災後の区画整理により当地へ遷座、昭和5年産千代稲荷社を合祀したといいます。
「中央区史」による明徳稲荷神社の由緒
日枝神社兼務社。昭和五年六月から産千代稲荷社を合祀。(「中央区史」より)
東京都神社名鑑による明徳稲荷神社の由緒
創祀不明。元禄時代(一六八八-一七〇四)より現在の茅場町交差点角のところに祀られ、毎月八日の縁日には茶番・狂言等にて賑わう。震災後区画整理により現地に奉斎される。現在の地は日枝神社摂社と境内を接し、霊験顕著なる翁稲荷、町内鎮座の祇園稲荷を合祀する。(東京都神社名鑑より)
「日本橋區史」による明徳稲荷神社の由緒
明徳稲荷神社
祭神倉稲魂命。もと本木材町四丁目(今二丁目)河岸にありし楓川天神を合祀したるものにして、當時社地は千川上水跡にあり。今南茅場町五十四番地に當る。(「日本橋區史」より)
東京名所図会による明徳稲荷神社の由緒
明徳稲荷神社
明徳稲荷神社は、南茅場町五十四番地に在り、楓川天神を合祀す。楓川鎧之渡古跡考云、本材木町四丁目川端に、楓川天神の社と稱す祠ありしを、今千川上水跡、裏茅場のうしろなる明徳稲荷の社に合殿にして移し祀る、神主菅北筑前、是を奉祀す、とある是なり。(東京名所図会より)
明徳稲荷神社の周辺図