小網神社|中央区日本橋小網町の神社

猫の足あとによる東京都寺社案内

小網神社|日本橋七福神の福禄寿・弁財天

小網神社の概要

小網神社は、中央区日本橋小網町にある神社です。小小網神社の創建年代等は不詳ながら、悪疫消滅鎮静を祈願するために、恵心僧都が文正元年(1466)稲荷大神を勧請、時の領主太田道灌が小網稲荷神社と命名したといいます。江戸期には、天台宗小細山稲荷院萬福寺と称する寺院の境内社で浅草新寺町にあったといいますが、明治維新に際して復職、稲荷神社とした後、明治2年当地へ遷座、明治6年村社に列格したといいます。日本橋七福神の福禄寿・弁財天としても崇敬を集めている他、下町八社巡りの一社です。

小網神社
小網神社の概要
社号 小網神社
祭神 倉稲魂命(稲荷大神)、市杵島姫命(弁財天)、他1柱
相殿 -
境内社 -
住所 中央区日本橋小網町16-23
備考 日本橋七福神の福禄寿・弁財天



小網神社の由緒

小網神社の創建年代等は不詳ながら、悪疫消滅鎮静を祈願するために、恵心僧都が文正元年(1466)稲荷大神を勧請、時の領主太田道灌が小網稲荷神社と命名したといいます。江戸期には、天台宗小細山稲荷院萬福寺と称する寺院の境内社で浅草新寺町にあったといいますが、明治維新に際して復職、稲荷神社とした後、明治2年当地へ遷座、明治6年村社に列格したといいます。

中央区神社案内による小網神社の由緒

当神社は、強運厄除の総本社で、約550年前鎮座した古社です。5月の大祭では、一之宮ニ之宮神輿が渡御し賑わいます。また11月のどぶろく祭りは奇祭として有名で、強運厄除のみみずくも正月まで授与されます。(中央区神社案内より)

日本橋七福神めぐりガイドによる小網神社の由緒

稲荷大神を主祭とし、527年前に鎮座した歴史的に古いお社。5月の大祭では東部有数の神社大御輿で賑う。11月末に繰り広げられるどぶろく祭りは奇祭としてとみに有名。なお、福禄寿は福徳長寿の神、また弁財天は営業隆昌、学芸成就の神として、親しまれている。(日本橋七福神めぐりガイドより)

「中央区史」による小網神社の由緒

小網神社(日本橋小網町二の九)
江戸時代の末までは長寿院と称し東叡山末、薬王山東光院に属していた。明治二年寺院と分離して浅草新寺町から、区内へ遷座し、同六年七月五日に至り村社に列せられ、同九年十月十四日社殿竣工してここに鎮座し今日におよんだ。当時京都吉田邸内から勧請した保食神を境内末社に祀っていたが、震災に鳥有に帰してからは本社へ奉祀する。戦前五月の例祭には大仕掛の飾物を氏子の随所に設け、これを飾物祭と称して大変な賑いを呈した。また六月朔日の境内富士塚富士参詣には前日から雑沓をぎわめ、境内に諸商人、物見世が立ったというが、共に現在では行われていない。敷地六十四坪、本殿・拝殿・幣殿・神楽殿等はいずれも昭和四年の造営にかかる。三年毎の例祭には神幸祭が執行されている。(「中央区史」より)

東京都神社名鑑による小網神社の由緒

その昔、この地に悪疫が激しく流行した。よって、悪疫消滅鎮静を祈願するために、稲荷大神を勧請し、社殿を建立した(文正元年一四六六)。その後、領主太田持資公(道灌)も参拝、土地を寄進、現社号を名づけたと伝えられる。また、明治元年の神仏分離令により、同境内にあった萬福寺と分離、その後、同寺は廃寺となったため、辨財天のみ、神社へ遷座された。大正十二年の関東大震災により諸建物を焼失、昭和四年に現社殿が造営された。戦禍はまぬかれる。(東京都神社名鑑より)

東京名所図会による小網神社の由緒

稲荷神社(小網神社)
稲荷神社は。小網町東萬河岸に在り。俗間に小網町稲荷と稱するもの是なり。今の汐留川の奥を稲荷堀と稱せしは。當社の近傍にありしに因れり。今社掌長島氏より送られたる縁起を左に掲ぐ。
日本橋區小網町貳丁目鎮座
村社稲荷神社
一所在地、東京市日本橋區小網町貳丁目東萬河岸貳號
一名稱、稲荷神社
一祭神、宇賀魂命
一事由、當神社は。足利等持院将軍の治世。叡岳の沙門恵心僧都。武蔵國豊島郡入江の岡に笈を止め。其處に小庵を結て。萬福院と唱ふ。其後八代将軍太政大臣慈照院義政公の治世。文正元年一村近隣疫病流行し。庶民困厄す。時に夢の告に依りて。僧都自から稲荷の尊像を彫刻して。村民と共に神祠を建立し。小網稲荷神社と稱す。爰に領主太田君より地所と賜り。寺院を造立す。小網山稲荷院萬福寺と號す。其の後慶長年中徳川家入國の後。入江邊町家となり。社號を以て小網町と唱へ。稲荷社を産土神と崇敬す。同十六年依公命。中興開祖秀舜法印の時。田所町に移り。又谷町へ移り。正保元年三世宗榮法印の時、浅草新寺町に於て新地七百坪を拝領し。社殿を造立し。寺院を再建す。落成の時依綸命寺號を長壽院と改む。天台宗東叡山薬王山東光院に附属す。先般神佛混淆不相成に付。明治二己年十一月四日願済之上。當地へ遷座。同六年七月五日村社に被為定。同七年二月十九日願済之上。蠣売町壹丁目貳番地へ借地鎮座。同九年九月廿五日小網町貳丁目舊地を以て社地に被為定。同年二月五日社殿向建築願済。同年十月十四日遷座仕候也。
一建物、本社四坪、明治十年造土蔵
一拝殿、一坪六合、同、同
一社務所、拾坪五合、同十八年造、同
一境内地、貳拾七坪五合三勺、市部共有地
一境内庭地
一末社、稲荷神社、同卅年造、木造
一當社大祭例年五月四日五日兩日執行す
右神社社掌長島榮壽(東京名所図会より)


小網神社所蔵の文化財

  • 小網神社社殿及び神楽殿附 棟札・造営関係資料(中央区民登録文化財)

小網神社の周辺図