橘稲荷神社|江戸城内の社が将軍家御典医岡本玄冶(旧姓橘)に下賜
橘稲荷神社の概要
橘稲荷神社の創建年代は不詳ですが、当初御殿山にあったものが江戸城内へ移り、さらに将軍家御典医岡本玄冶に下賜されて、岡本玄冶の邸があった当地へ移されたといい、岡本玄冶の元姓が橘に因んで、橘稲荷と称されていたといいます。
社号 | 橘稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 中央区日本橋人形町3-8-6 |
備考 | - |
橘稲荷神社の由緒
橘稲荷神社の創建年代は不詳ですが、当初御殿山にあったものが江戸城内へ移り、さらに将軍家御典医岡本玄冶に下賜されて、岡本玄冶の邸があった当地へ移されたといい、岡本玄冶の元姓が橘に因んで、橘稲荷と称されていたといいます。
境内掲示による橘稲荷神社の由緒
橘稲荷神社由来
このあたり江戸期には新泉町といわれたが、将軍家御典医・岡本玄冶の邸があったことから、一帯を玄冶店と俗称した。
当稲荷ははじめ御殿山にあったものが、のちに江戸城内へ移り、さらに玄冶に賜って当地へ移された。
稲荷名の橘は岡本家の姓に因んだとされる。
安政6年の尾張屋清七板古地図では、現在地よりやや北側に記されている。
数百年に亘り、素朴な信仰の対象として土地の人々により守り継がれて来た。特定の個人や企業の所有ではなく、町のお稲荷さんとして親しまれている。
大正以降、運よく震災・戦災を免れて来たが、老朽化の為このほど地元町民多数の浄財により再建された。
平成2年8月吉日
橘稲荷御造営奉賛委員会(境内掲示より)
橘稲荷神社の周辺図