槙三伏見稲荷神社|中央区八重洲の神社

猫の足あとによる東京都寺社案内

槙三伏見稲荷神社|中央区八重洲の神社

槙三伏見稲荷神社の概要

槙三伏見稲荷神社は、中央区八重洲にある稲荷神社です。槙三伏見稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、吉川稲荷と称して当地で祀られ、明治初年に京橋際揚場で祀られていた豊田稲荷を合祀して両社稲荷と称していたといいます。第二次世界大戦で焼失したものの、昭和23年に町内衛生会長が稲荷講と組織し再建、昭和25年京都伏見稲荷大社に参拝し神璽を受け、当時の町名「槙町3丁目」より「槙三伏見稲荷神社」と称したそうです。

槙三伏見稲荷神社
槙三伏見稲荷神社の概要
社号 槙三伏見稲荷神社
祭神 京都伏見稲荷
相殿 -
境内社 -
住所 中央区八重洲2-11-5
備考 -



槙三伏見稲荷神社の由緒

槙三伏見稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、吉川稲荷と称して当地で祀られ、明治初年に京橋際揚場で祀られていた豊田稲荷を合祀して両社稲荷と称していたといいます。第二次世界大戦で焼失したものの、昭和23年に町内衛生会長が稲荷講と組織し再建、昭和25年京都伏見稲荷大社に参拝し神璽を受け、当時の町名「槙町3丁目」より「槙三伏見稲荷神社」と称したそうです。

「日本橋・京橋地区(現東京都中央区)に所在する全神社の由来に関する実地調査」による槙三伏見稲荷神社の由緒

(『槙三伏見稲荷神社』の沿革による)
文政年間に大根河岸青物市場の守護神として現在地の「吉川稲荷」と京橋際揚場にあった「豊田稲荷」の両社を明治初年に合祀し現在地に於て「両社稲荷」と称していた。
明治20年当時東京府議会議員であった瀬尾新吉氏(商工中金北角にあった尾張屋主人)が神社の興隆を計り日枝神社の浅賀禰宜を兼務神職として祭祀を厳修した。
大正12年2月社殿を改築整備したが同年9月の関東大震災により炎上した。其の後再建して変らぬ信仰を続けて来た。
昭和6年大根河岸青物市場は築地東京中央卸売市場に移転した為「両社稲荷」は町内及び近隣の守護神として厚い信仰を受けていた。昭和20年の戦災により一切の建物は灰燼に帰したが昭和23年当時の町内衛生会長宇山禎一氏講元となり稲荷講を組織し現在の社殿を再建した。昭和25年5月23日宇山講元が中心となり町内自治会役員及び近隣の講員多数で、京都伏見稲荷大社に参拝し、伏見稲荷の神璽を受け、当時の町名が槙町3丁目であったので以後「槙三伏見稲荷神社」と称し現在に至っている。
現在は旧槙町3丁目自治会である八重洲2丁目南町会が責任を持ち町会長が講元を兼務し、京橋一之部連合町会の各町会より参拝をいただき日枝神社の神官により祭祀を修行しております。(「日本橋・京橋地区(現東京都中央区)に所在する全神社の由来に関する実地調査」より)


槙三伏見稲荷神社の周辺図