身延別院|牢屋敷跡・身延山久遠寺の別院
身延別院の概要
日蓮宗寺院の身延別院は、身延山久遠寺の別院です。身延別院は、牢屋敷跡だった当地に日蓮宗管長新居日薩師が発起人となり、明治16年に祖師堂として創建したといいます。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | 身延別院 |
住所 | 中央区日本橋小伝馬町3-2 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
身延別院の縁起
身延別院は、牢屋敷跡だった当地に日蓮宗管長新居日薩師が発起人となり、明治16年に祖師堂として創建したといいます。
「中央区史」による身延別院の縁起
身延別院
明治一六年身延山法主日薩上人当院を創建し身延山より日蓮上人霊像を当院に安置した。震災後十思公園より現在地に移転し、昭和三年五月現在の堂舎を造立した。霊像は延慶三年春日像上人の作と伝えられる日蓮上人の木像で等身より若干大きい。境内の大宝塔は日薩上人が吉田松陰・橋本左内等小伝馬牢の獄死者追善のため建立したもの。毎月十三日都下信者を集め法話・祈禱をなす外、日曜毎にも講座が開かれる。雑誌「願満」を刊行している。(「中央区史」より)
東京名所図会による身延別院の縁起
祖師堂
祖師堂は。鬼子母神堂と相連りて。其の南に在り。本堂は石造にして格天井なり。玄關には身延山主日鑑師の書せし。真浄大法の額を掲けたり。
建設の發起人は。日蓮宗管長新居日薩師にて。明治十五年十二月廿三日を以て請願し十六年一月廿四日許可を得て其の年十一月身延山久遠寺より遷座したるものなり。
本尊日蓮上人の靈像は上人の弟子日像の親しく造りし所にして久遠寺の寶蔵に安置しありしものといへり。(東京名所図会より)
身延別院所蔵の文化財
- 木造日蓮聖人坐像(東京都指定有形文化財)
この坐像はヒノキ材の寄木造りで、像高70cm、袖張76cm、胡粉地に彩色を施しています。
頭は円頂形をし、瞳は水晶製、右手に笏を持ち、法衣は朱彩、牡丹唐草模様の袈裟の上に、同じ模様の横帔をかけています。胎内に、明応6年(1497)7月、施主河島盛正との墨書銘があり、仏師山城発教定蓮が造立した、室町後期の日蓮聖人坐像です。
明治16年、身延別院創建の際、山梨県身延山久遠寺から迎え、本尊としました。大正12年の関東大震災にも焼失を免れ、昭和47年4月、都指定有形文化財に指定されました。製作年代の明確な日蓮聖人の坐像として貴重なものです。
身延別院の周辺図
参考文献
- 「中央区史」
- 東京名所図会
- 小伝馬町身延別院