大分長浜神社。大分市長浜町の神社

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大分長浜神社。応永13年(1406)に荒巻某が創祀

大分長浜神社の概要

大分長浜神社は、大分市長浜町にある神社です。大分長浜神社は、地震洪水が頻発した応永13年(1406)に荒巻某が霊夢により海辺に流れ着いた小社を得て、若宮八幡神社の御旅所があった当地側に創祀したといいます。慶長元年(1596)の地震津波により流され、春日神社境内に安置されていたものの、延宝9年(1681)当地に遷座、元松末町の鎮守天満宮が享保年間(1716-1736)当地に遷っています。

大分長浜神社
大分長浜神社の概要
社号 長浜神社
祭神 少彦名命、菅原道眞命
相殿 倉稲魂命
境内社 稲荷社
祭日 春例祭3月6日、夏季大祭7月5・6・7日、秋例祭12月6日
住所 大分市長浜町2-2
備考 -



大分長浜神社の由緒

大分長浜神社は、地震洪水が頻発した応永13年(1406)に荒巻某が霊夢により海辺に流れ着いた小社を得て、若宮八幡神社の御旅所があった当地側に創祀したといいます。慶長元年(1596)の地震津波により流され、春日神社境内に安置されていたものの、延宝9年(1681)当地に遷座、元松末町の鎮守天満宮が享保年間(1716-1736)当地に遷っています。

「大分市史」による大分長浜神社の由緒

長濱神社
市の東鹽九升町長濱口にあり、祭神少彦名命を祀る境内に天満宮あり、應永十三年(足利義持の治世)の春諸國に地震洪水ありたり時に六月廿五日荒巻某、霊夢を見て浦邊を散歩して一尺四五寸の小社を砂上に得、内に明鏡あり、裏に豫州長濱大明神とあり、其地名も亦長濱にして此地は若宮八幡の御旅所なれば、其假殿の側に奉祠す、其後慶長元年の大地震大津浪に殿宇流失して神鏡は神宮寺浦に流れ寄りしを、春日社の境内に安置すること二十四年にして元和五年十一月廿一日荒巻氏の裔、社司山崎氏を計りて城東の田圃の間に遷したりしが延寶九年六月五日現今の地に遷座ありたり。
最要記云、豊府下鹽九升町、有民姓荒巻氏也、然荒巻氏天性正寶而無巧言令色、是故無疑他人語言、常持十善、所然應永十三丙戌、六月廿四日、寅時夢而告老翁曰、予長濱大明神也、今海邊有汝速構社檀可祭、守汝子孫繁榮、因之荒巻氏同廿五日卯之時到干海邊、求之果而得霊鏡、其者銘長濱大明神、是正鏡也、不可疑即此事城主白奉許命同慈寺東北二百餘歩、新建立神殿、鎮坐其霊鏡、以名長濱大明神、府人祭之、後元和五年己未、荒巻氏營宮社於鹽九升町、使古國府神職山崎氏遣春日山、以長濱大明神、遷宮鹽九升新宮云々。
境内の天満宮は元松末町の鎮守なりと傳ふ、初め下河原田圃の中にありたるを享保年間此處に移せりと、舊府内圖に就て見る可し、當長濱社は何時の頃よりしてか婦人病の祈願に霊瞼あらたかなりとて其名近國に聞え、参詣者常に絶えず。(「大分市史」より)


大分長浜神社の周辺図


参考資料

  • 「大分県神社誌」 (大分縣大分市役所)