足利学校。上杉憲実が再興、国指定史跡・日本遺産認定
足利学校の概要
足利学校は、足利市昌平町にある名所旧跡です。足利学校の創建については諸説ありますが、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺の僧快元を招聘し、足利学校中興の庠主(学長)として学校を再興したといいます。室町時代には、学徒3000人と言われるほど盛んでしたが、江戸末期には「大学」としての役割を終え、明治維新後の明治5年に閉校しました。近世日本の教育遺産群の一つとして、水戸市(旧弘道館等)・備前市(旧閑谷学校等)・日田市(咸宜園等)と共に日本遺産に認定されています。
名称 | 足利学校 |
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みどころ | 国指定史跡、日本遺産認定 |
入場時間 | 4-9月09:00~17:00 10-3月09:00~16:30 |
入場料 | 420円、高校生210円、中学生以下・障碍者無料 |
住所 | 足利市昌平町2338 |
備考 | 休館日:第3月曜日(祝日・振替休日の場合は翌日)、12月29-12月31日 |
足利学校の由緒
足利学校の創建については諸説ありますが、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺の僧快元を招聘し、足利学校中興の庠主(学長)として学校を再興したといいます。室町時代には、学徒3000人と言われるほど盛んでしたが、江戸末期には「大学」としての役割を終え、明治維新後の明治5年に閉校しました。近世日本の教育遺産群の一つとして、水戸市(旧弘道館等)・備前市(旧閑谷学校等)・日田市(咸宜園等)と共に日本遺産に認定されています。
足利学校の由緒
足利学校の歴史
足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(学長)制度を設けるなどして学校を再興したころからです。
鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長享元年(一四八七)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と讃美しております。
また天文十八(一五四九)年にはフランシスコ=ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され、「学徒三千」といわれるほどになりました。
江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治五年に幕をおろしましたが、足利学校の精神は現在に引き継がれています。
昭和五十七年より「史跡足利学校跡保存整備事業」を実施し、平成二年江戸中期の姿に甦りました。(足利学校栞より)
日本遺産認定の概要
日本遺産
近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-
我が国では、近代教育制度の導入前から、支配者層である武士のみならず、多くの庶民も読み書き・算術がえき、礼儀正しさを身に付けるなど、高い教育水準を示した。これは、藩校や郷学、私塾など、様々な階層を対象とした学校の普及による影響が大きく、明治維新以降のいち早い近代化の原動力となり、現代においても、学問・教育に力を入れ、礼節を重んじる日本人の国民性として受け継がれている。(日本遺産魅力発信推進機構掲示より)
足利学校の周辺図