赤塚浅間神社|赤塚諏訪神社の境外社
赤塚浅間神社の概要
赤塚浅間神社は、板橋区大門にある浅間神社で、赤塚諏訪神社の境外社です。赤塚浅間神社の創建年代等は不詳ながら、18世紀に富士浅間信仰が爆発的に流行、志木市敷島神社境内の田子山富士へ奉納された明治5年の奉納額に、「下赤塚仙元富士山」と記載されていることから、明治5年以前には富士塚が造成されていたといいます。境内には十羅刹堂も奉安されています。
社号 | 浅間神社 |
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祭神 | 蒼稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 板橋区大門5-9 |
備考 | - |
赤塚浅間神社の由緒
赤塚浅間神社の創建年代等は不詳ながら、18世紀に富士浅間信仰が爆発的に流行、志木市敷島神社境内の田子山富士へ奉納された明治5年の奉納額に、「下赤塚仙元富士山」と記載されていることから、明治5年以前には富士塚が造成されていたといいます。
新編武蔵風土記稿による赤塚浅間神社の由緒
(下赤塚村)
記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「いたばし郷土史事典」による赤塚浅間神社の由緒
記載なし(「いたばし郷土史事典」より)
「いたばしの神社」による赤塚浅間神社の由緒
該当掲載なし(「いたばしの神社」より)
東京都神社名鑑による赤塚浅間神社の由緒
非法人のため掲載なし(東京都神社名鑑より)
赤塚浅間神社所蔵の文化財
- 赤塚諏訪神社富士塚(板橋区登録文化財)
赤塚諏訪神社富士塚
富士塚は、一般的には、富士山へ登拝することを目的に組織された「富士講」の人びとによって、富士山を模して造られた、ミニチュアの人造富士山のことで、富士講が爆発的に広がった十八世紀以降に、各地で盛んに造られました。
富士塚の特色は、山麓から山頂にかけて登山道を模した道を設け、それに沿って石碑を配して、富士山各所の礼拝所を表現していることや、「黒ボク」と呼ばれる富士山の溶岩石を取り寄せ、使用している点にあります。
また、富士塚への登山自体が、富士山登拝と同様の御利益があるとされています。なお、各地の富士塚では毎年七月一日前後に、富士山の山開きに合わせた祭礼が行われている所もあります。
当富士塚を造成した富士講「丸吉講」は、新座郡中村村(現在の新座市)出身の浅海吉右衛門が開いた講中です。当地(旧下赤塚村)へと丸吉講が伝播した時期については、詳らかではありませんが、和光市白子熊野神社境内の富士塚にある、明治三年(一八七〇)に奉納された鳥居には、他地域の丸吉講の講中とともに下赤塚の人びとの名が見られることから、それ以前の幕末期には当地に伝播していた可能性が考えられます。
また、この富士塚の造成時期については、志木市敷島神社の境内にある「田子山富士」へ奉納された明治五年の「丸吉講新富士百三十三所奉納額」に、「下赤塚仙元富士山」と表記されていることから、それ以前の段階と考えられます。
当富士塚は、平成二十二年度、区の登録文化財(史跡)となりました。(板橋区教育委員会掲示より)
赤塚浅間神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「いたばしの神社」
- 東京都神社名鑑
- 「いたばし郷土史事典」