治兵衛稲荷神社|治兵衛新田を開拓した治兵衛が村の鎮守として勧請
治兵衛稲荷神社の概要
治兵衛稲荷神社は、江東区北砂にある神社です。治兵衛稲荷神社は、当地一帯治兵衛新田を開拓した治兵衛が村の鎮守として山城国伏見稲荷大社の分霊を慶安年間(1648-1652)勧請、創建したといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦之御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 江東区北砂3-21-11 |
備考 | 旧治兵衛新田鎮守 |
治兵衛稲荷神社の由緒
治兵衛稲荷神社は、当地一帯治兵衛新田を開拓した治兵衛が村の鎮守として山城国伏見稲荷大社の分霊を慶安年間(1648-1652)勧請、創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による治兵衛稲荷神社の由緒
(冶兵衛新田)稲荷社
亀高村持寶院持(新編武蔵風土記稿より)
「江東区の民俗城東編」による治兵衛稲荷神社の由緒
治兵衛稲荷神社
慶安年間(一六四八~五二)治兵衛という人がこの付近一帯を開拓して村の鎮守として山城国伏見稲荷大社の分霊を勧請したのが治兵衛稲荷神社のはじまりであるという。江戸時代には代官所の守護神として崇敬されていたと言い伝えられている。(「江東区の民俗城東編」より)
治兵衛稲荷神社の周辺図