亀高神社|亀高新田開拓の際に寛永年間創建
亀高神社の概要
亀高神社は、江東区北砂にある神社です。亀高神社は、当地亀高新田開拓の際に五穀豊穣の神として寛永年間(1624-44)に創建、亀高新田村の鎮守であったといいます。昭和38年地守稲荷神社を合祀、亀高稲荷神社と改称したといいます。
社号 | 亀高神社 |
---|---|
祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 江東区北砂4-25 |
備考 | 亀高新田村の鎮守 |
亀高神社の由緒
亀高神社は、当地亀高新田開拓の際に五穀豊穣の神として寛永年間(1624-44)に創建、亀高新田村の鎮守であったといいます。昭和38年地守稲荷神社を合祀、亀高稲荷神社と改称したといいます。
新編武蔵風土記稿による亀高神社の由緒
亀高新田
稲荷社
本地十一面観音を安す。弘法大師の作にして長6寸許。台座の内に元禄12年4月15日蜂須賀氏納之と記せし。村の鎮守にして持寶院持(新編武蔵風土記稿より)
「江東区の民俗城東編」による亀高神社の由緒
亀高神社
『南蔦飾郡神社要覧』によれば、寛永年間(一六二四~四四)の初め、当地開発の際に五穀の神として祀り、寛保元年(一七四一)徳川吉宗が鷹狩りの際に百姓次郎兵衛に立ち寄られたときにこの社を参詣したという。『砂町銀座史』によれば、昭和二〇年三月一〇日の空襲により焼失し、仮宮を造営し、昭和三八年に地守稲荷神社を亀高稲荷神社に合祀し、亀高神社と改称した。昭和四三年に現社殿が落成した。(「江東区の民俗城東編」より)
亀高神社所蔵の文化財
- 水盤大正3年在銘(江東区登録文化財)
- 天水桶大正9年在銘一対(江東区登録文化財)
- 百度石昭和3年在銘(江東区登録文化財)
亀高神社の周辺図