子安稲荷神社|元禄年間に創建
子安稲荷神社の概要
子安稲荷神社は、元禄年間(1688-1704)当地域に創建したと伝えられます。高砂鉄工所(子安稲荷神社近く、江東区大島3-7・8付近)の拡張工事により、昭和30年頃当地へ遷座しました。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦能魂之神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭8月9日 |
住所 | 江東区大島3-21-9 |
備考 | - |
子安稲荷神社の由緒
子安稲荷神社は、元禄年間(1688-1704)当地域に創建したと伝えられます。高砂鉄工所(子安稲荷神社近く、江東区大島3-7・8付近)の拡張工事により、昭和30年頃当地へ遷座しました。
境内掲示による子安稲荷神社の由緒
亀出西部
子安稲荷神社
江戸時代、元禄時代の中頃に村民によって宇迦能魂之神を祀り、護国豊穣と子孫の繁栄を願い鎮座されました。
氏子は現在の大島3丁目、4丁目の一部と南五ッ目(大島2丁目の竪川沿いの一部)でした。
明治の末頃亀戸香取神社の管轄となり、現在の高砂鉄工所門前近くに鎮座されておりましたが、昭和30年頃工場拡張工事の際、現在地にて町会の守護神として祀ってくれる様にと願い出あり、町会役員、氏子、世話人相談の上、当地にお祀りすることになりました。
現在は学問・子育ての神として崇拝を受けている。
大東京市合併記念大島町誌より(境内掲示より)
「江東区の民俗城東編」による子安稲荷神社の由緒
「神社明細帳」によれば、創立は元禄年間(一六八八~一七〇四)という。『城東区史稿』によれば、出産の祈神霊の力により、子を安く産むという伝説により、何時のころからか子安神社と称するようになった。戦災により焼失し、罷災した氏子崇敬老が多く、容易に復興できず、境内の敷地も三方鉄工所に囲まれていたので、昭和二八年に現在地に移転し、再建された。(「江東区の民俗城東編」より)
子安稲荷神社の周辺図