宇迦八幡宮|千田庄兵衛が千田新田村開拓に際して勧請
宇迦八幡宮の概要
宇迦八幡宮は、江東区千田にある神社です。宇迦八幡宮は、享保年間(1716-36)近江商人の千田庄兵衛が千田新田村を開拓、千田稲荷神社として創建したといいます。飢饉の際には穀物に代わって片栗を栽培するようお告げがあったといい、片栗八幡宮とも称されていました。
社号 | 宇迦八幡宮 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭8月14・15日 |
住所 | 江東区千田12-8 |
備考 | - |
宇迦八幡宮の由緒
宇迦八幡宮は、享保年間(1716-36)近江商人の千田庄兵衛が千田新田村を開拓、千田稲荷神社として創建したといいます。飢饉の際には穀物に代わって片栗を栽培するようお告げがあったといい、片栗八幡宮とも称されていました。
新編武蔵風土記稿による宇迦八幡宮の由緒
(千田新田村)稲荷八幡合社
村の鎮守なり。村持(新編武蔵風土記稿より)
「江東区の民俗深川編」による宇迦八幡宮の由緒
享保年間(1716-36)、近江の商人千田庄兵衛が江戸にやってきて、海辺の葦が茂るこの地の開拓を徳川吉宗に願い出て、三年かかって村づくりをなし、その名をとって千田新田と名付け
られ、寛政九年(一七九七)、村全体が一橋家の領地となったので、一橋領十万坪とも称えた。千田庄兵衛はこの地に社殿を造り、千田稲荷神社と称し、土地の産土神としてあがめた。たまたま、土地の穀物が実らず、この神社に祈願したところ、神霊のお告げにより、穀物に代わる片栗を栽培して飢餓を救ったという伝説により、片栗八幡宮とも称した(宇迦八幡宮社頭碑 「由緒」)。
宇迦八幡は八代将軍吉宗がこの辺りに鷹狩りに来たとき、残した矢の根を御神体とし、それは戦火を逃れ、今も保存され、戦前までは千田稲荷神社と称していたが、戦後、改名要求が高まり、奉賛会が協議の末、宇迦八幡宮と定め、昭和二九年に神社庁に認められたという(「寺社めぐり10」)。(「江東区の民俗深川編」より)
宇迦八幡宮所蔵の文化財
- 石造六角宝塔貞享2年在銘(江東区登録文化財)
宇迦八幡宮の周辺図