正木稲荷神社|江東区常盤の神社

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正木稲荷神社|隅田川から小名木川へ入る目標となった社

正木稲荷神社の概要

正木稲荷神社は江東区常盤にある稲荷神社です。正木稲荷神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には既に当地に鎮座、梅暦や江戸名所図会等の書物に記載されている神社です。当地には柾木の大木があり、隅田川から小名木川へ入る目標ともなっていたことから、柾木稲荷神社と称されていたといいます。また、近くには芭蕉庵跡(芭蕉庵は現在芭蕉記念館に移転)、芭蕉稲荷神社があります。

正木稲荷神社
正木稲荷神社の概要
社号 正木稲荷神社
祭神 宇迦魂命、応神天皇
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 江東区常盤1-1-2
備考 -



正木稲荷神社の由緒

正木稲荷神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には既に当地に鎮座、梅暦や江戸名所図会等の書物に記載されている神社です。当地には柾木の大木があり、隅田川から小名木川へ入る目標ともなっていたことから、柾木稲荷神社と称されていたといいます。

境内石碑による正木稲荷神社の由緒

近年柾木稲荷が正木稲荷に改められ、祭神は宇迦魂命と応神天皇を祭り、例祭は毎年2月初午の日である。
創立は年代不詳、江戸時代古くより当社はあったようである。為永春水著「梅暦」の挿絵に当社が描かれ、奉納の織に「柾木稲荷大明神 天保5年(1834)2月初午」と書かれ名の知れた稲荷社であった。
当社は江戸切絵図「本所深川絵図」に「マサキイナリ」と記載されている。この絵図は文久2年(1862)版である。また江戸名所図会では「真先稲荷明神社」とも称されている。江戸には稲荷社もっとも多く、この絵図には著名な稲荷社だけが記されている。当社はその一つであった。
昔は柾木の大木があったので、この社名がつけられた。隅田川から小名木川へ入る目標として尊重されていた。また子供が柾木の果を丸めてピーピー鳴らしていたのである。まにその果が腫れ物によくきいたともいわれている。その祈願には全快迄「ソバ」を断ち、全快すれば「そば」を献じて奉斎する信仰があった。
柾木はニシキギ科の常緑低木で、高さ3メートル、海岸近くに多く育ち庭木生垣になり、果は厚く滑らか、長楕円形、六月頃淡緑色の四弁花をたくさんつける。実は球形、開いて赤色の種子をだす。
小名木川の水路は行徳(千葉)の塩を直線コースで江戸に運ぶため天正18年(1580)水路が開かれ、江戸が世界一の人口になるにつれ重要な河川となり、番所が設置された。寛文元年(1661)船場所は大島9丁目の小名木川と中川の交差する堤所に明治維新まで置かれた。
また当所の近くに芭蕉庵があって大正10年11月東京府が蕉翁古池の跡とし旧跡に指定した。しかし昭和56年この旧跡は芭蕉記念館に移転した。
江東区の地図にも当社は記載されており、昔より町内持(維持経営)である。(境内石碑より)


正木稲荷神社の周辺図