最勝山上妙寺|荻新田を開発した荻兄弟が開基
上妙寺の概要
日蓮宗寺院の上妙寺は、最勝山と号します。上妙寺は、荻新田を開発した荻兄弟が開基となり、日財上人を開山に迎えて寛永2年(1625年)に創建したといいます。
山号 | 最勝山 |
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院号 | - |
寺号 | 上妙寺 |
住所 | 江東区東砂1-4-6 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | 上妙寺慈恩堂 |
備考 | - |
上妙寺の縁起
上妙寺は、荻新田を開発した荻兄弟が開基となり、日財上人を開山に迎えて寛永2年(1625年)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による上妙寺の縁起
日蓮宗下総国葛飾郡平賀村本土寺末最勝山ト号ス。
開山日財、明暦3年10月16日寂ス。本尊三宝祖師ヲ安ス。(新編武蔵風土記稿より)
「江東区の民俗城東編」による上妙寺の縁起
上妙寺
『砂町誌』によれば、上妙寺は寛永二年(一六二五)の建立で、平賀本土寺末寺である。開基は荻某氏で、元和年間(一六一五~二四)に大和国平方村から兄弟三人でこの地を開墾した。ここ荻は長兄が独力で付近十数町を開き、地名を荻と名付けた。荻氏は一寺を建立し、所有地三反五畝歩を寄付し、日財上人を勧請し、開山とした。『新編武蔵風土記稿』巻之二五によれば、日財上人は明暦三年(一六五七)に亡くなり、荻氏の墓も残されており、初代は寛文九年(一六六九)没で、戒名は最善院完円であるという。
かつて大津波のとき、堂芋が大破し、境内の椎の古枝に鬼子母神の像が係留していた。以後、海中出現子育鬼子母神と尊称し、毎月八の日に開帳し、正・五・九月二八日の大祭には諸人参詣した。門前に文化一〇年(一八一三)に建てられた「鬼子母神道道標」がある。この標柱は小名木川沿い(東砂二)にあったが、戦後現在地に移されたものであるという。また、涅槃像は長さ一八尺幅九尺の画幅で、昔この地の代官のすすめにより将軍家大奥より寄せられたものであったという。海嘯・震災・戦災など幾多の苦難ののち、昭和三五年に本堂庫裏を復興した。「江東区の民俗城東編」より)
上妙寺所蔵の文化財
- 木造三宝本尊像(江東区有形文化財)
- 題目曼荼羅 日修書(江東区有形文化財)
- 荻家歴代墓(江東区有形文化財)
- 増田市五郎墓(江東区有形文化財)
- 上妙寺歴代住職墓(江東区有形文化財)
- 鬼子母神道道標(江東区有形文化財)
- 題目供養塔(江東区有形文化財)
上妙寺の周辺図