長光山陽岳寺|向井将監源忠勝が開基
陽岳寺の概要
臨済宗妙心寺派寺院の陽岳寺は、長光山と号します。陽岳寺は、今川家・武田家・徳川家と戦国時代に三家に仕え、海上から支援した向井将監源忠勝が開基となり、文室郁禅師を開山として寛永14年(1637)創建したといいます。向井将監忠勝墓や伏見義民墓など数多くの東京都旧跡があります。
山号 | 長光山 |
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院号 | - |
寺号 | 陽岳寺 |
住所 | 江東区深川2-16-27 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
陽岳寺の縁起
陽岳寺は、向井忠勝(法名陽鰐寺殿天海玄祐居士)を開基、文室郁禅師を開山として寛永14年(1637)創建したといいます。
「江東区の民俗深川編」による陽岳寺の縁起
陽岳寺
寛永一四年(1637)、向井忠勝は寺を建立しようとして、伊奈氏に地を求めたが果たさずに亡くなり、五男が仮堂を建立し、開基として創立した。忠勝の法名は陽鰐寺殿天海玄祐居士。開山は文室郁禅師で、相州三崎見桃寺白室和尚の法弟になる。延宝年間の第三世大室祖昌和尚を中興とする(「深川区史」)。
向井氏は伊勢湾を支配する海賊衆で、武田信玄が水軍を編成したときに、配下となり、武田家滅亡後、向井正綱は徳川家康に仕え、江戸入府時には二千石の御船奉行となる。その子忠勝は大坂冬の陣で戦功をたて、子孫代々左近将監を務めるように命じられる。御船奉行は江戸防衛が役目で、江戸湊沿いに屋敷を構え、忠勝は隅田川沿いに霊巌島を築く工事も手がけたという(「寺社めぐり19」)。(江東区の民俗深川編より)
陽岳寺所蔵の文化財
- 向井将監忠勝墓(東京都旧跡)
- 伏見義民墓(東京都旧跡)
- 観嵩月墓(東京都旧跡)
- 英信勝墓(東京都旧跡)
- 木造十一面観音坐像(江東区登録文化財)
- 木造阿弥陀如来立像(江東区登録文化財)
- 木造地蔵菩薩立像(江東区登録文化財)
- 木造天部立像(江東区登録文化財)
- 銅製きん子 明和6年在銘(江東区登録文化財)
- 銅製きん子 明治44年在銘(江東区登録文化財)
- 銅製宝来柄鏡 村田美濃守作(江東区登録文化財)
- 水盤 文政5年在銘(江東区登録文化財)
- 篤行神碑 宝永5年在銘(江東区登録文化財)
陽岳寺の周辺図