羅漢寺|羅漢寺の跡地に建立された寺院
羅漢寺の概要
曹洞宗寺院の羅漢寺は、江東区大島にある寺院です。江戸時代、当地には黄檗宗天恩山羅漢寺がありましたが、明治20年本所区緑町へ、明治42年には下目黒へ移転したといいます(下目黒五百羅漢寺)。明治36年羅漢寺の跡地に、西多摩郡奥多摩町氷川より曹洞宗祥安寺が移転、昭和11年羅漢寺と改称したといいます。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | 羅漢寺 |
住所 | 江東区大島3-1-8 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
羅漢寺の縁起
江戸時代、当地には黄檗宗天恩山羅漢寺がありましたが、明治20年本所区緑町へ、明治42年には下目黒へ移転したといいます(下目黒五百羅漢寺)。明治36年羅漢寺の跡地に、西多摩郡奥多摩町氷川より曹洞宗祥安寺が移転、昭和11年羅漢寺と改称したといいます。
「江東区の民俗城東編」による羅漢寺の縁起
羅漢寺
江戸期、現在地(本所五之橋南)には、元禄八年(一六九五)に将軍吉宗により寺地一五〇〇坪を与えられて創建された天恩山羅漢寺という黄葉宗の寺院があり、五〇〇体の羅漢が安置されていた。なお、無檀家の新寺のため、五〇〇俵を賜る(『新編武蔵風土記稿』巻之二四)。この寺は弘化三年(一八四六) の暴風雨と安政二年(一八五五)の大地震で堂字が倒壊し、明治維新により、幕府からの援助もなくなり、田沼の間で地盤も脆弱なため、明治二〇年に本所区緑町に移転し、明治四二年には下目黒に移った(『目黒区大観』)。『大島町誌』によれば、明治三六年(一九〇三)に羅漢寺跡地に祥安寺(曹洞宗)が信徒総代の手により多摩郡氷川村から移される。戦前は毎月二日・一七日・二六日の三回縁日を催し、羅漢通りには露店が軒を並べ賑わった。昭和一一年(一九三六)に羅漢寺と改称した。(「江東区の民俗城東編」より)
羅漢寺所蔵の文化財
- 石造燈籠 井伊直武奉納寛永寺旧蔵
- 木造千手観音菩薩坐像
- 木造毘沙門天立像
- 地蔵供養塔 延享元年在銘
羅漢寺の周辺図