冝雲寺(一蝶寺)|白井市郎兵衛が当地2700坪を寄進
冝雲寺(一蝶寺)の概要
臨済宗妙心寺派の冝雲寺は、蒼龍山と号し、一蝶寺と通称します。冝雲寺(一蝶寺)は、寛文6年(1666)に恵然禅師が深川元町神明社の社地を一部借りて宜雲庵を創建、元禄6年に檀越白井市郎兵衛より海辺新田(現在地)2700坪の寄進を受けて移転したといいます。画家英一蝶が開山・二世に帰依、堂宇に画を描いていたことから一蝶寺とも称されたといいます。
山号 | 蒼龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 冝雲寺 |
住所 | 江東区白河2-7-10 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
冝雲寺(一蝶寺)の縁起
冝雲寺(一蝶寺)は、寛文6年(1666)に恵然禅師が深川元町神明社の社地を一部借りて宜雲庵を創建、元禄6年に檀越白井市郎兵衛より海辺新田(現在地)2700坪の寄進を受けて移転したといいます。画家英一蝶が開山・二世に帰依、堂宇に画を描いていたことから一蝶寺とも称されたといいます。
「江東区の民俗深川編」による冝雲寺(一蝶寺)の縁起
冝雲寺
もとは冝雲庵といい、寛文六年(1666)に恵然禅師により深川元町神明社(深川新明宮)の社地を一部借りて草創された。元禄元年(1688)、幕府は古跡・新地寺院の区別を判然とし、寛永八年(1631)以前に建立された寺院を古跡寺院、以降を新地寺院とし、新地寺院が災害を受けたら、再建を認めないとした。恵超和尚の努力により古跡なみと認められ、元禄六年幕府により境内地が上地され、檀越白井市郎兵衛より海辺新田(現在地)二七〇〇坪の寄進を受け、移転する。画家英一蝶が開山・二世に帰依して臨済禅を学び、師の求めに応じて、本堂などに描き、一蝶寺とも呼ばれたというが、震災などにより焼失してしまったという(「蒼龍山冝雲寺誌」)。(江東区の民俗深川編より)
冝雲寺(一蝶寺)の周辺図